毛利元就のストレス解消法は愚痴を手紙に書く事だった!


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戦国大名がいかに超人とはいえ病気にもなるし悩みもします。ストレスや嫉妬(しっと)の感情からも無縁ではありません。しかし、それをそのままにしていては、ストレスが溜まってしょうがありません。中国地方の雄、毛利元就(もうりもとなり)はそんなストレスを手紙を書く事によって解消していたのです。

 

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手紙が来たら即レスだった毛利元就

西遊記巻物 書物

 

毛利元就は、非常に筆まめな人物で身内や部下、他の大名宛てに大量の手紙が残されています。そればかりでなく、受け取った手紙には即返事を書いて出したそうで、手紙に返事を書く為に夜遅くまで起きていたそうです。現代でもメールのレスが速く来ると、大事にされているような気がして嬉しいものですが、戦国時代も同じであって、これも元就流の人たらし術だったのかも知れません。

 

でも、それもこれも、手紙を書くのが好きじゃないと夜遅くまで返事を書く事も出来ないと思いますから、趣味と実益を兼ねたものだったかも知れません。


長ったらしく愚痴っぽい手紙でストレス解消

暗号を使う上杉謙信

 

筆まめな元就ですが、それは趣味と実益を兼ねたものだけでなく、ストレスを解消するための貴重な手段でした。研究者も毛利元就の手紙には愚痴(ぐち)や心配事が多く、またくどくどと長ったらしいと評価しています。元就当人は、手紙にまとまりがないのを勢いで書いたので構成をまとめられなかったと弁解しているそうですが、その割には手紙には漢字間違いが少ない事から、勢いで書いたというのは、どうも正しくなさそうです。

 

代わって考えられるのは、手紙の中で愚痴を繰り返しぶちまける事でストレス発散をしていたという可能性です。簡潔にサッと書いてしまえば、愚痴は少ししか書く事は出来ません。しかし、意図的に手紙をくどくどと長くすれば、一通の手紙に沢山の愚痴を連ねる事が出来るのです。

これは元就が意図的にやったストレス発散の愚痴手紙だった可能性があります。

 

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長さ285センチ、非常にくどい人生訓

 

元就の手紙で特にくどくどと長いものは、弘治三年(1557年)息子の隆元(たかもと)元春(もとはる)隆景(たかかげ)()てた三子教訓状(さんしきょうくんじょう)です。これは手紙の長さが2.85メートルもある長々しいもので十四条ありますが、人生訓という割に、考え抜いて構成したものとはとても思えず、思いついた事をつらつらと書き連ねたら、長くなったという代物でした。

その内容は、

 

一、毛利の家名を(すた)れぬように保て。

二、兄弟は仲良くしろ。

三、元春と隆景は分家したからって本家を(おろそ)かにすんなよ。

四、隆元は弟達を辛抱(しんぼう)強く導け。

五、元春と隆景は長幼の序に(なら)い兄に従え。

六、この教えは孫の代まで守って欲しいものだが、遠い将来の事は分からない。だが、お前達兄弟には守って欲しいな。

※ここで終りそうだが、さらにだらだら続く

七、亡くなった母さんの供養(くよう)追善(ついぜん)は忘れんなよ。

八、妹の五龍の待遇はお前達並みにしろ差別したらワシ恨むからな

九、ワシの幼い息子達が立派に成人したら、どこかに領地をください。

十、こう見えてワシ、随分(ずいぶん)人を殺したから報いが怖いなぁ、お前らも親の因果が子に報いってあるから自重(じちょう)しろよ。

 

 

kawauso

 

みたいな人生訓らしい人生訓から、

 

十一、ワシ、智謀も武勇も人並みなのに、なぜか色々あって中国の覇者になってしまったんだよね、特に信心深くもないのに不思議だな。

怖いからもう隠居して静かな余生が欲しいけど、今のご時世では無理かなぁ。

十二、11歳の時に猿掛城(さるかけじょう)(ふもと)に住んでいたが、旅のお坊さんが来て、朝太陽を(おが)んで念仏を十回唱えると、

現世も将来も幸福と教わり以後今まで実行している。お前達もやりなさい。

十三、厳島神社(いつくしまじんじゃ)はワシにとってラッキースポットでいつもインスピレーションをもらい戦争でも勝たせてもらったから、

お前達もしっかり拝むんだぞ

十四、日頃から言いたい事をあらいざらい書かせてもらいスッキリした。これ以上、言いたい事はなにもない

ついでとはいえ言いたい事を言えて満足だ。めでたいめでたい

※なにがめでたい、めでたいだ。

 

 

みたいな、どうでもいいようなものまで含まれています。特に十一や十二は、お前の昔話だろ!としか思えないですが、一応言いたかったのでしょう。


中国の覇者とも思えない愚痴手紙

 

毛利元就は生い立ちで苦労した事もあり、かなりのネガティブ思考だったようで、手紙の内容も、後ろ向きでネガティブな文面が多いようです。例えば

 

「毛利のことをよく思う者は他国についてはいうまでもなく国元にも一人もいないであろう。」

 

このように、毛利家の周囲は敵ばかりだから用心しろよと書いてみたり、

 

妙玖(みょうきゅう)(正室)が生きていれば、家の中の事から子供達のしつけまで、ワシ一人でやる事もなかった。(とつ)いでいった五龍(ごりゅう)の事さえワシが(いさ)めないとならない。ああ、家庭には妻と夫と二人が必要なのに、どうして早くに死んでしまったのだろう。わしはもう年老いて何もやる気が起きない」

 

このような早くに亡くなった妻への愚痴が散りばめられた文面があります。ただ、これらは、元就の本心ではなく、日頃のストレスを書き綴って身内に送る事で、ストレスを共有してもらい発散する目的があったようです。

今風に言えば、友達限定でFBに日頃の愚痴を書きなぐって、いいねやコメントをもらう事でストレスを軽くするような感じではないかと思います。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

 

筆まめ武将だった毛利元就は、手紙で部下やライバルと緊密にコミュニケーションを取ると同時に、身内に対しては、日頃のストレスをくどくどとした愚痴や説教にして吐き出す事で共有してもらい憂さを晴らす事でストレスを解消していたようです。

そんな手紙を頻繁に送ってもらう身内にとっては、ちょっとウザかったかも知れませんが、ストレスを散財や酒や女に費やすのに比べれば、かなりコストが安いとも言えます。趣味と実益を兼ねた手紙は、元就の人生になくてはならないアイテムだったのでしょうね。

 

参考文献:偉人たちの健康診断 歴史に学ぶ健康法

 

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