【キングダム】六大将軍の部下はどこに行ったのかを調査

2020年1月18日


 

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キングダムは戦国時代を扱う都合から、頻繁(ひんぱん)に登場キャラクターが戦死しています。この場合、死亡した将軍が率いている部下は一体、どこに移動するのでしょう?

 

鄧禹と兵士

 

また、リアルな歴史では、軍隊の引継ぎはどのように行われたのでしょうか?今回は、キングダムのレジェンド、六大将軍の部下について調査してみます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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1:王騎軍は騰に引き継がれた

キングダム26巻

 

秦国六大将軍である王騎(おうき)は、紀元前244年、馬陽の戦いで龐煖(ほうけん)に討たれて戦死した設定になっています。王騎には息子はいなかったようなので、軍勢は副官の(とう)に受け継がれている事が漫画の描写でも明らかです。

 

引き継がれた武将は、録嗚未(ろくおみ)隆国(りゅうこく)干央(かんおう)鱗坊(りんぼう)(故人)同金(どうきん)(故人)等、珍しく、全ての部下が王騎から騰へ引き継がれているのは、騰が副官として王騎の戦い方を熟知しているからではないかと思われます。また、王騎も騰も文武両面に優れるので、軍師相当の部下がいないのも特徴です。

 

2:白起軍は王齕に引き継がれた

白起(春秋戦国時代)

 

白起(はくき)は、六大将軍の中でも最も異質で、廉頗(れんぱ)によると戦いにくいやっかいな人物であったようです。史実でも漫画でも長平の戦いで趙の投降兵40万人を、少年兵240人を除き、全て穴埋めして殺した無慈悲な人物として描かれますが、趙兵を開放すれば秦への憎しみが強い趙兵が再び刃向かう事も予測できたと史記には記されていて、勝つという大前提を考えれば、穴埋めは戦略的に間違った判断とは言えません。

春秋戦国時代の白起、デビュー戦から大殺戮

 

そんな白起の部下ですが、どうなったのかキングダムには何の描写もありません。史実では、白起は戦いの進め方を巡って、秦の昭襄王と対立し大将軍から一兵卒に降格されているので、兵力は根こそぎ剥がれたと考えて間違いなさそうです。あくまで史実の流れを追うと、白起の軍勢は王陵(おうりょう)という将軍に引き継がれ、王陵が失態を重ねたので、次に六大将軍の一人である王齕(おうこつ)に引き継がれたとあります。これだと白起の部下は最終的に王齕に引き継がれたと推測できますが、白起の部下にどんな人物がいたのかは、史実でも漫画でも一切が不明です。

 

キングダムネタバレ考察

 

3:王齕の軍勢は一部が蒙驁に流れた?

兵士 朝まで三国志

 

六大将軍王齕は六将と呼ばれる割に、非常に印象が薄い存在です。長く伸ばした鬚髯(しゅぜん)と、顔を斜めに走る傷が特徴で、六将随一の怪力、得物は長柄大斧(ながえだいふ)というドスの効いた容貌(ようぼう)ですが、キングダムにおける戦歴は、こっそりと楚に侵攻し楚の大将軍、項燕(こうえん)の副将の汗明(かんめい)に敗れたという真偽不明の汗明の自慢話だけです。史実の王齕は、白起と共に長平で趙軍を撃破したり、邯鄲を包囲したりと派手なもので、白起の更迭自殺後は、その軍勢を王陵から引き継ぐなどしています。

 

函谷関

 

王齕は、紀元前247年、魏の信陵君が率いる五か国合従軍を蒙驁と共に阻止しようとしますが大敗し、秦は河外(かがい)の領地を失い洛陽付近まで退却、王齕はそこで軍を解散して、以後、歴史に登場しません。しかし、同僚の蒙驁はその後も登場し続け、晋陽の反乱を平定したり、韓を攻めたりしているので、王齕の部下の一部は蒙驁の支配下で統合された可能性があります。また、紀元前257年に張唐将軍の副官として、寧新中(ねいしんちゅう)を抜いたという記述もある事から、張唐とも部下を一部共有していた可能性もあります。ただ、張唐も王齕も部下の名前については分かりません。

 

4:摎の軍勢は王騎に合流か?

王異

 

(きょう)はキングダムの設定では、昭襄王の娘で王位継承争いで殺害される事を恐れて、実母が焼身自殺に見せかけて摎も死んだ事にして王宮から赤ん坊の摎を脱出させた事になっています。その後、ツテを頼って摎は王騎の家の召使いになりますが、どういう理由か、筋肉ムキムキくちびるお化けの王騎に惚れ、王騎の真似をして武術を習う間に、非常な剣の達人になったという設定でした。

 

ホウ煖(龐煖)

 

成長した摎は、城を百落としたら王騎の妻になるという約束を交わし、昭襄王の娘である事を隠す為にフルフェイスの兜で顔を覆い、敵が全滅するまで攻撃を止めない苛烈な将軍になりますが、奇しくも百個目の城となった馬陽で龐煖に襲撃されて死去しました。王騎との絡みは多いですが、具体的な戦い方は不明で部下についても分かりません。ただ、六大将軍であった摎の戦死は政治的に重大な影響を及ぼすと考えた王騎と昌文君が病死として処置したとあるので、摎軍は王騎の軍勢に編入されたのではないでしょうか?

 

三国志のモブ 反乱

 

史実の摎は楊摎と言い、紀元前256年、韓を攻撃して首を4万も挙げ、次に趙を攻撃しては二十の県を落とし、捕虜と斬首が九万人と派手な活躍をした上に、西周の文公を捕虜にして西周を滅ぼす活躍をしています。さらに、キングダムと違い、史実の楊摎(ようきゅう)は秦王政の中華統一後も生きており、五大夫楊摎として、紀元前219年までは生きていた事が分かります。

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