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督郵はつらいヨ!劉備ばかりか満寵にもシバかれた下っ端役人

2020年3月6日


 

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劉備の黒歴史

 

督郵(とくゆう)と言えば、郡守の命令で領内を回る監察官の事です。この督郵、正史では劉備(りゅうび)に二百叩きされ、三国志演義では張飛(ちょうひ)にシバかれた事で有名です。しかし督郵を酷い目に遭わせたのは実は劉備だけではなかったのです。今回は地位が低いわりに、ひどい目に遭わされる督郵について解説します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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汚職督郵張苞を拷問死させた満寵

合肥の戦いの満寵

 

督郵をシバいたもう一人の人物、それが魏の満寵(まんちょう)でした。そもそもこの満寵自身18歳の時に督郵になっていて、郡内で私兵を率いて暴れ回り、農民を傷つけていた李朔(りさく)という男を太守の命令で捕らえて拷問。その余りの恐ろしさに李朔は二度と略奪行為をしなかったというおっかない男です。

曹操を暗殺しようとする董承

 

その後、高平県令になった満寵ですが、その頃、張苞(ちょうほう)という人物が督郵になりました。こいつが汚職野郎で、あちこちから賄賂(わいろ)を取って県の政治を乱しました。そこで満寵は張苞が宿舎に居る時を狙って兵を率いて押し込んで逮捕、贈賄の罪を白状させようと情け容赦なく拷問に掛け、その日で殺してしまいました。やりすぎたと思った満寵は、その日で県令を辞め故郷に帰っています。

 

張飛のパワハラに怯える張達と范彊

 

いやあ、怖いですねぇ、、三国志演義の張飛でさえ殺すまでは行かなかったのに、満寵は役目で捕縛して涼しい顔して拷問に掛け即日死ですよ。督郵は監察の役割ですから、命令によっては容疑者を逮捕して自供を取る必要から容赦がない拷問に掛けたんでしょうね。だから賊の李朔は震え上がって、二度と略奪行為をしなくなったと考えると、怖い事に辻褄(つじつま)があってしまうのですが・・

 

実は劉備が悪かった?とばっちりでシバかれた督郵

太行山に入り山賊になる劉備三兄弟

 

正史三国志では劉備が督郵をシバいて官を捨てて逃亡したとされています。その原因というのが、劉備が督郵に挨拶にきたのを督郵が拒否したので、恥をかかされた劉備が兵を引き連れて官舎に押し込んでシバいたという、よく分からない内容です。

 

裴松之(歴史作家)

 

しかし、こちらは、裴松之(はいしょうし)が補った魏略(ぎりゃく)によると具体的な詳細が見えてきます。

 

幕末 魏呉蜀 書物

 

それによると、黄巾賊討伐で手柄があった劉備は安喜県尉(あんきけんい)(警察署長)のポストを得ましたが、当時朝廷は黄巾討伐で手柄を立てた義勇軍に役職を大判振る舞いした為、財政が圧迫され、増え過ぎた役人を大量リストラせよと郡県に(みことのり)を出しました。可哀想な話ですが、大した後ろ盾がない劉備は、真っ先にリストラ要員に入ってしまい、くだんの督郵は、劉備に解雇を通告する為にやってきたのです。

劉備と公孫瓚

 

この督郵はたまたま、劉備と顔見知りであり劉備は知り合いの(よしみ)で決定を(くつがえ)してもらおうと面会に来たのですが、中央の決定を覆す権力など持っていない督郵は気が重く、病気と称して劉備との面会を拒否したというのが真相でした。これを逆恨みした劉備は、兵士を引き連れて官舎に押し入り、全てを督郵のせいにして鞭でシバいたのです。督郵からすれば自分の落ち度ではない全くのとばっちりでした。

逃走する太史慈

 

しかしまぁ、劉備も理不尽な事をしている自覚はあったのか、怒りが醒めると県尉の印綬(いんじゅ)を捨て、どこかに逃亡しています。

 

三国志とお金の話

 

大した地位ではない督郵がクローズアップされる理由

呂範

 

満寵には拷問で責め殺され劉備には逆恨みでブッ叩かれる督郵ですが、その地位は地方官である太守の配下で下から数えた方が早い端役(はやく)でした。例えば、孫策に仕えた呂範は孫策(そんさく)と碁を打っている時に自分を督郵にして下さいと頼みますが、孫策は呂範の今の地位と比較して、督郵では格下げになるからダメだと断ります。このように督郵は地位としては大したものではないですし、俸給も六百石です。

曹操の悪口を書簡に書く陳琳

 

しかし、督郵は監察(かんさつ))という地位で、県の役人の治績・治安・法規・徴税・軍事などを調べて評価し、それを太守に報告する役割であり、役人の秘密も握りますし、評価について手心を加える事が出来る地位でもありました。有能な人間が督郵になれば、役人の正しい評価が行政の長に伝えられ、地方組織が円滑に回る一方で、無能な人間や私腹を肥やしたい人間が就任すると、そこに汚職が生まれるわけで地位の低さの割には重要な役割だったのです。

手柄を立てる呂範

 

呂範も一度は孫策に断られますが、督郵が組織の為に重要なポストである事を再度説明した結果、孫策に受け入れられています。

 

そのポストの重要さ故に恨まれた督郵

激怒する関羽

 

満寵や呂範のような有能な人々も就いたポストである督郵。しかし、それだけに、監察と評価という地方の役人の地位を左右する地位である督郵に対する風当たりはかなり強かったようです。これは三国志演義の話ですが、督郵をシバいた現場に出くわした関羽は、

「兄者は数々の大功を立てながら、任じられたのは県尉の地位、それも督郵風情(ふぜい)(あなど)りを受ける。思えば、イバラの中は鳳凰(ほうおう)住処(すみか)ではありませぬ」とボロクソ言っています。

 

汚職政治と闘う徐璆

 

ここでは督郵が大した地位でもないのに監察の権限で人の弱みを握ったり、でたらめを吹き込んだりして人を陥れる存在である事が現れているのです。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

呂範が督郵になったときの描写として、礼服を脱ぎ捨てて乗馬服に着替えて鞭を持ち、役所の前まで行って自らが督郵の任を預かっていると宣言するシーンがあり、その声で役人は粛然(しゅくぜん)としたと書かれています。督郵が地方の役人にとってかなり怖く、恐れられた存在である事がわかる一文であり、これで性格が悪かったり腐敗役人だったら、そりゃあ恨まれるでしょうね。

 

参考文献:正史三国志

参考文献:完訳三国志

 

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呂布

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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