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この記事の目次
人は死んだらオシマイという辞世
最期の辞世は、己以外の全てを棄て、つまり他人も身内も己以外は、全て振り捨て生きてきた。それでもこの世を棄てる事は出来ない。この世以外に自分の居場所はないのだからという凄まじく現世に執着した内容です。
今風に言えば、生きてこそ花、死んで花実が咲くものかですが、道三の場合は、下克上により人を殺して、地位や財産を奪い悪行を積み重ね、それを自覚していながら、なおも生きていたいというのですから、まさに悪も悪、究極の自分本位の考え方です。大河ドラマの本木雅弘扮する斎藤道三は、まさに、この辞世の句、そのままの生き方を貫いているように思いますがどうでしょうか?
戦国時代ライターkawausoの独り言
今回は、斎藤道三の遺言から、その人となりを考えてみました。冒頭で述べたように、遺言状は織田信長に都合の良い内容なので、偽物の疑いもあるのですが内容を読んでいると、いかにも道三が書きそうではあるなと感じました。
麒麟がくる第17回で死ぬ予定の道三が、いかなる最期を迎えるか?今から楽しみです。
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