歴史上、税金のない国は存在した事がありません。すると嘘だ、産油国には無税の国だってあるぞと反論もあるでしょう。しかし、そのような国は大抵、石油を国家が独占して販売しています。本来、国民の資産である石油を国が独占し自由競争を阻害しているのですから、これは間接的に税を取っているのと同じなのです。
さて、同じように国家の興亡にも税が関係しています。繁栄する国家は公平な税システムを構築し没落し滅亡する国家は税制から壊れていきます。
そんな税と時に脱税を巡る物語。第1回は3000年の繁栄を築いた古代エジプトです。
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この記事の目次
庶民まで豊かだった古代エジプト
近年まで、古代エジプトは巨大なピラミッドとファラオという絶対権力者が貧しい庶民を暴力で抑えつけて搾取し、一部の人間が贅沢の限りを尽くしているというイメージが支配的でした。
しかし、近年はピラミッドそのものが公共事業で農閑期の庶民の仕事であった事が判明し、遺跡発掘により、エジプトの領民は貧しい人ですらカマドのある家に住んでいた事が分かっています。
さらに、古代エジプトは無計画な都市設計の為、世界最古のゴミ問題も発生しています。これは数千年前からエジプト人が都市生活を営んでいたという証拠でもあります。つまり、古代エジプトでは、ファラオのみではなく、庶民に至るまで豊かな生活を維持できていたのです。
その繁栄は3000年と言う途方もない長さで、もちろん過去存在したあらゆる国家で最長です。ではどうして、そんな長い間古代エジプトは豊かさを享受できたのでしょう。
税務官僚書記の支配
エジプトは氾濫の多いナイル川という大河川を堤防や灌漑で手懐けて発展しました。これは中国文明と同じタイプで、強力な権力と指導力を持つリーダーが必要です。
やがて、ナイル治水を実現したリーダーが王になり地位が世襲で継がれるようになり、司法・行政・立法の三権を握る中央集権制の国家が誕生しました。
古代エジプトのような国は、農業国なので人民から取り立てる直接税が主力になります。但し、問題はいかに公平な徴税を行うかでした。古来、多くの国家は徴税作業を民間に丸投げして受け取る前金で国家を運営し、民間の徴税請負人は儲けを出す為により多くの税を人民から搾り取るが常で、これが人民を苦しめ社会不安に繋がっていました。
そこでエジプトは、徴税請負を止め公務員としての徴税官である書記を養成しだしたのです。
特権と厳しい規律で縛られた書記
書記はセシュと呼ばれ、読み書きと数学に優れた人材でした。諸説ありますが、書記は官立の書記学校で選抜式で養成され、地位はあまり高くないものの行政全般を動かすので、王や貴族にも重んじられ高い収入が約束されていました。
エジプト書記学校の教科書には、「書記になれ、そうすればなめらかな手足、柔らかい手のままでいられる。白い服を着て廷臣たちさえ挨拶してくれる」と書かれていました。
このように、書記が特別ステータスの高い仕事だった事が分かります。古代エジプトが書記を優遇したのは、徴税官は賄賂や汚職などの誘惑が多いからです。高収入と高いステータスは、書記に高い倫理観と公平性を維持させました。
しかし、それでも汚職に手を染める書記がいました。これらには厳罰が適用され、職を解いた上で鼻を削ぎアラビアに追放されたそうです。また、仕事に厳しくなる余り、書記が人民から過酷に税を取り立てる恐れもあります。
そこでファラオは、書記に慈悲のある振る舞いを命じ、
①税が払えず万策つきた者はそれ以上追求するな
②貧しい農民が税を納められないなら2/3は免税せよ。
として過酷な徴税にならないように誡めています。
高負担なのに人民が潰れない理由
古代エジプトでは土地はファラオのモノであり、人民はこれを借りていました。その耕作料として人民は国に農作物の20%を納めていたようです。かなり高い税率ですが、それでも人民の生活は安定していました。
その理由は、支払った税金が書記の計算で迅速に人民に還元されたからです。集められた富はすぐに国内に還流し、新しい需要を産み供給力が担保されました。
現在日本のように消費税を払うだけ払い、それが還流しないからまた増税しデフレが深刻化する事はなかったのです。
書記の堕落が古代エジプトを潰した
しかし、公正で厳格だった古代エジプトの書記も古代エジプトの後半期、紀元前1300年頃には腐敗し堕落していきました。その頃の書記は既得権益化し、ファラオの目を盗み、人民に重税を課して私腹を肥やすようになるのです。
書記が私腹を肥やすと国の税収は減少するので、これが増税として庶民に跳ね返ります。そして増税分もまた書記が搾取しさらに国は増税する、こうして負のスパイラルが起き、エジプトは超増税国家に変貌し人民は貧しくなり国力は衰えていきました。
ナイル川が氾濫を繰り返し農業が破綻する
税収不足は、エジプトの富を生み出していたナイル川の堤防工事や灌漑設備のメンテナンスも不可能にしました。ナイル川の修繕は、農閑期の人民に給料を支払う手段であり、現在の公共事業でした。
お金が払えないので、ナイル川の堤防も灌漑も修繕もできずに放置され、洪水による作物の被害が恒常化して収穫量が激減、人民は土地を捨てて逃げていきました。
汚職による税収不足が増税に繋がり、その増税分も汚職で吸い取られ、財源不足がエジプトの富の象徴だったナイル川の管理を難しくし、洪水の頻発が穀物の収穫量を減らし、また増税、、これにより古代エジプトの末期には、国家の税収は激減していくのです。
アメン神殿が独立しエジプトは分裂
弱体化した古代エジプトで人民の心をつかんで急成長したのが宗教でした。古代エジプトには、ファラオが信仰するアメン神殿があり国力が低下して威信が弱まったファラオに代わり台頭してきたのです。
アメン神殿は、元々、土地や収穫物に税金が課せられず神殿に隷属する人民には人頭税も課せられませんでした。そのため重税に苦しむ人民がアメン神殿に逃げ込んだり、書記の過酷な徴税から逃れる為に土地や資産を寄進するようになります。
もちろん、アメン神殿の領地には国家が踏み込む事は出来ません。日本の荘園の不輸・不入権のようなものです。こうしてエジプト王国の歳入は最盛期の半分に落ちます。逆に言うと、エジプトの富の半分はアメン神殿に移行したのです。
かくして紀元前1080年頃には、アメン神殿はエジプト王国から独立した形になり、古代エジプトは事実上分裂、急激に弱体化しました。
紀元前525年、エジプトはペルシャで興ったアケメネス朝の侵攻を受けて支配下に入り、紀元前332年マケドニアのアレキサンダー大王に滅ぼされました。古代エジプト王朝は公正な税システムのお陰で繁栄し、書記の腐敗で税システムが機能しなくなり滅んだのです。
kawausoの独り言
古代エジプトはファラオに権力が集中した中央集権の国であり、税は直接税で人民から20%の高率の税を取っていました。しかし、公平で慈愛を旨とする優れた徴税公務員の書記の働きで、吸い上げられた税は、効率的に必要な部署に届いて社会を還流して安定した需要と供給を産み出していました。
しかし、書記が腐敗し私腹を肥やす事で、社会を循環していた税は一部の特権階級の懐に溜まる一方になり、社会を還流しなくなったのです。古代エジプトの富は消えたのではなく、偏在して社会を回らなくなってしまった。この教訓は、21世紀の現在でも普遍的に通用します。
参考文献:脱税の世界史 宝島社
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