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この記事の目次
姜維が蜀に降った、北伐
さてもう一つの繋がり、張良と姜維に関して。それはこの北伐の400年前に、とある人物が北伐を成功させました。蜀漢の地から400キロもある山道を通って長安を襲撃し、項羽に大打撃を与えた人物……そう、高祖・劉邦です。
そしてその劉邦の軍師が張良ですね。劉邦たちは北伐を成功させましたが、諸葛亮の北伐は敢え無く失敗、されど姜維だけは手に入れた……と考えると、不思議な縁を感じないでしょうか?
魏延の北伐について
因みに魏延の北伐は、この劉邦の北伐が引き合いに出されています。
ただし劉邦の北伐が成功した理由の一つに、当時の長安の治安が良くなく、元々長安の人々が善政を行ってくれていた劉邦に好意的、項羽がやらかしていたので反感をかっていたなどの要因もあり、
この当時の長安ではむしろ魏の政治は良い政治として受け入れられてしまっていたため、むしろ蜀軍の略奪で反感をかってしまうのではないかと諸葛亮は懸念していたと想像できます。高祖劉邦に倣うのは面白い作戦ですが、状況が違い過ぎたのが惜しい限りですね。
度々引き合いに出される張良
最後に更に小話を。西晋の王崇は「鍾会の知略は張良に似ている」と評しました。そしてその鍾会を利用した姜維はそれよりも上、つまり張良よりも姜維の方が優れているという評です。
真偽は図れませんが姜維の能力は追い込まれた状態の蜀では活かしたかったのではないか……と思うと、もっと状況が違えばより良い評価を姜維は残せたのではないか、と思ってしまいます。つくづく、時代に恵まれなかった悲哀を感じさせる武将です、姜維は。
三国志ライター センのひとりごと
今回は姜維から張良のつながりについて、少し調べてみました。直接的な関係はありませんが、調べてみると色々な面が見えて面白いものです。
張良は三国志の人物ではありませんが、こういった話の端々で名前が挙がるのを見ていると時代の繋がりを感じますね。こういった三国志以外の人物と三国志の人物の繋がりはもっとたくさんあるので、折を見て小話としてもっと紹介していきたいと思います。
参考文献:蜀書姜維伝 呉書周瑜伝 魏書明帝紀
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