近代オリンピックが、古代ギリシャで行われていたオリンピアの祭典をモデルに復刻された事はよく知られています。でも、私達は古代オリンピックについてどの位知っているのでしょうか?
古代オリンピックの期間中は戦争が停止され、裸の力自慢の男たちがレスリングや徒競走のような素朴なスポーツを楽しんだ?
その答えだと半分も正解していません。古代オリンピックは決して清く正しいものではなく、大神ゼウスに捧げられる、血と暴力と勇気と腐敗と欲望と名誉が混ざった最高にエキサイティングな一大スポーツイベントだったのです。
人間の全ての要素を吐き出したオリンピックはだからこそ1100年285回も続きました。近代オリンピックなんか足元にも及ばない古代のオリンピックに皆さんをご案内しましょう。
この記事の目次
肉体を鍛え競争を好んだ古代ギリシャ人
古代オリンピックは、紀元前776年にギリシャで開催されたのが記録に残る最古です。この紀元前776年とは、古代周王朝が犬戎という異民族に攻められ都を放棄した西周の滅亡、そしてキングダム500年の戦乱を遡る事5年も前でした。
そんな大昔から徒競走をしていた古代ギリシャ人は、世界最古のスポーツバカ民族と言って過言ではないでしょう。では、どうしてギリシャ人はスポーツに熱狂したのでしょうか?
それは、ギリシャの土地が起伏に富み、風光明媚であるのと裏腹に崖や山に分断され大きく肥沃な土地に恵まれなかったせいでした。少ない資源を巡り、1000にも上る都市国家は、果てしない争乱を繰り広げ、古代ギリシャ人は好戦的で勇気があり、競争好きで誰が一番かを決めたがる騒々しい人々になります。
誰が1番か?これを最もシンプルに残酷に決められるものこそスポーツでした。ギリシャ人は鍛え上げられた肉体を崇拝し、競争に勝ち抜く者こそ善と考えスポーツの勝者に憧れ賛辞を惜しまなかったのです。
クセルクス王が呆れたオリンピックバカのギリシャ人
300人という映画でも有名なテルモピュライの戦いの年、紀元前480年。ペルシャのクセルクス王は100万のペルシャ兵を率いてギリシャに攻め込みます。
古代ギリシャ存亡の危機でしたが、数万人もいたギリシャの戦士はオリンピックのレスリング決勝を見る方を選んで参戦せず、スパルタのレオニダス王は、手勢の300人の重装歩兵だけでペルシャ軍を迎え撃って足止めし戦死しました。
後にクセルクス王は、ギリシャの戦士がほとんどオリンピックを選んだ事と、勝者に与えられるのが月桂冠ひとつである事に呆れ、ギリシャ侵攻を勧めた重臣を軽蔑したそうです。クセルクス王のみならず、同時代の異民族は、古代ギリシャ人のスポーツ好きを理解できず、狂人の所業と罵倒しました。
地中海世界から7万人を集める古代の祭典
古代のオリンピックはオリュンピアという土地で行われました。今のように世界の都市の持ち回りではなく、最初から最後までオリュンピアで行われたようです。そこは、オリュンピアから北西65キロに位置するエリスという都市国家の領域で、古代ギリシャの中心地であるアテネから、330キロも離れたド田舎でした。
何故、こんなド田舎でオリンピックが開催されるようになったのか、それは紀元前776年戦争と疫病で荒廃していたギリシャを救うべく、エリス王イフィトスがデルフォイで神託の伺いを立てると、疫病と戦争を終わらせたいなら、オリュンピアで競技会を開けという神の教示を得て、その通りにすると疫病と戦争が収まったという故事によります。
古代オリンピックは開催から3世紀が過ぎると地中海世界で最大の祭典になります。オリュンピアは、ギリシャ南西部の僻地にあり、大半の観客は険しい山を越えて、街道をトボトボ歩きやってきますが、中には、スペインや黒海から危険な航海を乗り越えてまで、オリンピックを見に来る熱狂的なファンまでいました。
それは7万人にもなり、当時のギリシャの中心、大都市アテネの人口を1万人上回りました。しかし、本当の驚きはここからです。
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