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マラバル海賊との関係
カフル人と共に共同で大砲を撃っていたマラバル人も興味深い存在です。マラバルというのは、現在のインドケーララ州で、紀元前からの香辛料貿易の中心地であると同時に、大航海時代には、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス人が相次いで上陸し、象牙、チーク材、香辛料などを求めるヨーロッパ人との交易が開始された文化の先進地で、マラバル海賊という存在もいたようです。
先に紹介したマラバル人も半筒砲の扱いに精通している様子なので、ただの商人ではなく、イエズス会か、有馬晴信に直接雇われた海賊でしょうか。
フロイス書簡によると、竜造寺隆信は、肥前の国からキリシタンの名をことごとく消滅させる事を狙い、勝利した暁には、娯楽として副管区長の伴天連をさっそく十字架にかけて処刑すると豪語し、長崎の港も自分の兵に与え、戦利品として略奪し破壊する事を許すと言ったようなので、イエズス会としても総力を挙げ有馬氏に協力したのでしょう。
戦国時代ライターkawausoの独り言
今回は、弥助以外の戦国時代の日本で活躍したアフリカ人について調べてみました。
弥助も本能寺の変でも逃げずに戦ったようですが、沖田畷の戦いに参加したカフル人も複雑な大砲の操縦をし、大軍に対して臆する様子がない勇敢な人のようです。一説では、このカフル人は、本能寺の変後に明智軍に降伏して助命され、南蛮寺に預けられてから消息を絶った弥助その人であるという話もあります。
参考文献:フロイスの見た戦国日本 中公文庫
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