大名は江戸に住むのが嬉しかった!参勤交代のジレンマ

2020年5月11日


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参勤交代のジレンマ(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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藩主の家来もシティーボーイ

 

藩主が江戸生まれなら、当然、江戸で仕える彼の家臣も江戸生まれでした。肥前松浦家(ひぜんまつうらけ)の史料には「江戸詰めは江戸生まれの新参者が多く藩主は器量良しを好むので容姿端麗(ようしたんれい)な者が多いが、彼らは国元に行く事を嫌がる」と述べています。

 

つまり、参勤交代では大名は江戸に来る事が故郷に帰る事であり、国元に帰るのがよく知らない土地に向かう事でテンションが下がる逆転現象が起きたのです。

 

さらに、国元には江戸を知らない自分の家臣がいて、よく分からない国元の習慣で政治が行われ、下手をすると、あまり言葉も通じないかも知れません。しかも、一年すれば、また江戸に帰るわけであり、必然的に、そんなよく知らない国元の政治に大名はあまり熱心ではなくなり、政治は国元の家臣がやるようになるのも無理からぬことでしょう。

 

相矛盾する参勤交代

 

国元から出る事がない地元の家臣にとって参勤交代の費用は頭の痛い問題だったでしょうし、逆に江戸に帰りたい大名にとっては、心待ちにするものだったのでしょう。これでは、どうしても大名や江戸詰めの家臣と対立が生じるわけで藩を一枚岩にするのは、難しい事でした。もしかすると、徳川家康は、こういう効果も狙って正室と嫡子を江戸に留めておくという制度を造ったのかも知れませんね。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

参勤交代は藩に過重な負担を押し付ける制度で、島津久光が上洛して江戸幕府に突きつけた文久の改革にも参勤交代を緩和して、3年に1度にし滞在期間も100日にするという一文があります。これを契機に参勤交代は二度と復活しませんでした。

幕末島津久光を好きになってはいけない理由02 久光

 

ちなみに、島津久光は嫡男ではなくずっと薩摩で生まれ育った地五郎(じごろう)(田舎者)で、藩主となった息子の島津忠義(しまづただよし)の後見として江戸に上ったのですが、なかなか(なま)りが酷かったようです。

 

参考文献:歴史人4月号 日本史の謎100

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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