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この記事の目次
笛を吹きながら大盗賊を捕まえた藤原保昌
最期に女子力が高そうで、かつ強い武士の話をしましょう。
平安時代の中期、源頼信・平維衡・平致頼らとともに道長四天王と呼ばれた武勇の士に藤原保昌という人物がいました。彼は武勇に秀でながら、和歌にも巧みで道長の仲介で和泉式部と結婚した人ですが、同時に笛の名手でもありました。
今昔物語によると、或る年の10月、藤原保昌は好きな笛を吹いて月夜の道を一人で歩いていました。当時の平安京は治安が悪く夜は群盗が出ましたが、そんな群盗の親玉の袴垂という男が笛を吹く藤原保昌を見つけて、衣服を剥ぎ取ろうと機会を窺っていました。
ところが、無防備に笛を吹いているように見える保昌にはどうにも隙がありません。まごまごしている間に袴垂は保昌の屋敷についてしまい、振りむいた保昌に「お前は衣が欲しいのか?」と腕を掴まれ屋敷に引っ張り込まれます。
そして、立派な衣をプレゼントされますが、袴垂はもう恐ろしくて震え、屋敷を飛び出して逃げていってしまったそうです。袴垂は群盗とはいえ親玉で度胸は据わっています。
その袴垂が動けないという事は、藤原保昌が笛を吹きながらも神経を張り巡らして、少しも隙が無かったからにほかなりません。
ね、藤原保昌は女子力が高い強き武士でしょ?
日本史ライターkawausoの独り言
武士はキレイ好きというのは分かったけれど、貧しくて衣服を買えない武士はどうするの?そういう疑問を持った人もいるでしょう。ここでいう武士のキレイ好きは、決して新しく新調した衣服を着るという意味ではありません。粗末な衣服でも、ちゃんと洗濯しほつれを繕い、破れたらツギを当てて縫い糊を当てて清潔な身なりをしていれば、それで良かったのです。
さて、汚い身なりをした武士は実在しないという意味が分かったでしょうか?
参考文献:本当の武士道とは何か? 日本人の理想と倫理 PHP新書
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