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麒麟がくる第19話 感想あらすじ「信長を暗殺せよ」麒麟がきた

2020年5月26日


 

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尾張(おわり)の信長は、弟の信勝(のぶかつ)が美濃の斎藤義龍(さいとうよしたつ)、さらに義龍を通じて今川義元(いまがわよしもと)に通じている事を問題視し、これを殺す為に、病気見舞いを口実に那古野城に呼び出します。しかし、信勝も兄を亡き者にしようとして万病に効く白山(はくさん)の霊水と称した毒水を持参。それに逆上した信長は霊水を信勝に飲ませて殺害したのでした。

kawausoさんの麒麟がキター!

 

では、今回も行ってみよう麒麟がキターーーーー!!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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麒麟がくる第19話 感想あらすじ「母を失う信長」

ひとりぼっちで寂しい織田信長

 

部屋に入った土田御前(どたごぜん)は死んだ信勝を見て取り乱します。そして、前後の事情など理解する様子もなく信長をなじり、お前はいつも私の大切な物を壊す弟を手に掛けて尾張を手に入れこれで満足かと泣き叫びます。

 

おそらく事情を知っていても土田御前はこうなのでしょう。自分に似て行儀のよい弟だけが可愛く何を考えているか分からない信長を嫌う。むごい、むごい人間のエゴです。しかし、信長はそんな(うと)まれている理由が理解できず、自分の部屋に戻り「わしは、父も弟も母も失った」と帰蝶(きちょう)につぶやくのです。こうして信長は次第に(ゆが)んでいくのですね。

 

麒麟がくる第十九話 感想あらすじ「将軍の帰還」

 

永禄元年(えいろくがんねん)三好長慶(みよしながよし)和睦(わぼく)した足利義輝(あしかがよしてる)が5年ぶりに京都に帰還します。しかし、それは一時的な和睦に過ぎず義輝の立場は以前にも増して不安定であり将軍は浮かぬ顔でした。

 

三淵藤英(みつぶちふじひで)細川藤孝(ほそかわふじたか)の兄弟は、そんな義輝を不安そうに見つめています。そんな折、義輝は将軍権威の復活を目指し全国の大名に上洛を促すのでした。

 

麒麟がきた

 

麒麟がくる第19話 感想あらすじ「十兵衛、再び京へ」

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

美濃より越前に落ち延びて2年、十兵衛の一家はすっかり新しい生活に馴染みましたが朝倉義景(あさくらよしかげ)は十兵衛を取り立てず、いまだに浪人暮らしをしながら子供達に読み書きを教えていました。しかし、十兵衛の評判は上々で称念寺の和尚からは寺でもっと多くの子供達に読み書きを教えてくれと頼まれています。そんな時、朝倉義景が十兵衛を呼びだします。

朝倉義景

 

義景は足利義輝より上洛の書状を受けたものの、三好長慶と将軍の確執に巻き込まれるのを嫌がり十兵衛に献上品の(たか)を持たせて様子を見て来いと命じたのです。戦国大名らしからぬ事なかれ主義ですが、十兵衛は久しぶりに義輝に会える事を喜びます。

煕子(明智光秀の妻)

 

さらに家に帰った十兵衛に嬉しい報告が待っていました。熙子(ひろこ)のお腹に新しい命が宿っていたのです。十兵衛は喜び熙子を抱きしめ、母の(まき)に報告に向かいます。

kawauso

 

ひゅー!ひゅー!すっとボケた顔してやる事やってんじゃんか、このスケベ!

 

麒麟がくる第十九話 感想あらすじ「藤孝との再会」

細川藤孝

 

十兵衛は上洛し、相国寺(しょうこくじ)で三淵藤英と細川藤孝に再会、献上品の鷹を贈り、かつて藤孝の書状で自分が朝倉義景に拾われた事に礼を述べました。献上品の鷹を喜んだ藤英と藤孝ですが、義景が上洛しない事には残念そうな顔をしました。義輝の上洛要請に応じて上洛した大名は少なかったからです。どんな大名も室町将軍に権威を認めず、むしろ、その背後の三好長慶の意向を気にしていました。義輝の武家の棟梁(とうりょう)たらんという矜持(きょうじ)は現実の前に無力でした。しかし、そんな中でも織田信長は上洛に応じたというので十兵衛は驚きます。

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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