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一人の武将の待遇と運命を変える
さて時代はぐっと下がります。既に時は流れ劉備も関羽も張飛も夏侯淵もいない時代、魏から投降してきた武将がいました。彼の名は夏侯覇。夏侯淵の息子であり、曹操の縁者。
この夏侯覇は張飛の妻の遠縁で、その縁を頼って蜀に亡命してきたのです。魏の武将である夏侯覇が受け入れられたのは、この血筋があったからこそと言われています。
夏侯覇の立場
夏侯覇の立場は難しいものでした。なぜなら夏侯覇は夏侯一族、魏の皇族です。しかし同時に彼の親類縁者は重臣である張飛の妻であり、その娘は皇后。つまり遠くはあるものの彼は蜀の皇族でもあるのです。
この地位にあるからこそ彼は蜀の地でも厚遇され、立場を確かなものにできたと思われます。こういうのは古代中国でも親類縁者の繋がりをとても大事にしたからこそ、という背景も読み取れますね。
残された夏侯覇一家
因みに夏侯覇は一族連れての亡命ではなかったため、残された家族は罪に問われました。しかしそれでも夏侯淵の功績から死罪にはされずに済まされました。また夏侯覇の娘の一人が羊コに嫁いでいましたが、彼は夏侯覇を非難せず、難しい立場に追いやられた妻を気遣ったとされています。
この夏侯覇一家の扱いもやはり魏の皇族ということも影響したと思われると、血筋の重さを感じますね。ともあれ当事者たちは恐らくもう誰もいないのにも関わらず、不思議な縁が一人の武将の待遇と運命を変えたのにはとても「ドラマ」を感じませんか?
三国志ライター センのひとりごと
ちなみに夏侯覇に劉禅は「君の父(夏侯淵)は戦で死んだんであって、私の父(劉備)が殺したわけじゃないよ」という言葉をかけていますが、これは謝罪しておきたいのか言い訳したいのかちょっと判断が難しい所。
しかしまぁ皇帝である劉禅が気を使うような相手であったと考えると、夏侯覇の立場の重さも伝わってきます。そうなると蜀の武将たちも武将たちでちょっとやり辛かったのでは……と思ってしまうと、何だかちょっと苦笑いをしてしまいますね。
参考文献:蜀書後主伝 二主妃子伝 魏略
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