三国志の姜維と言えば、麒麟児と呼ばれていたことが有名です。しかしこの麒麟児という言葉は、決して姜維だけを指す言葉ではありません。今回は少し空気を変えて、この麒麟児という言葉についての解説を致しましょう。そして同時に麒麟児と呼ばれた者たちの命運に付いて少し知って頂きたいと思います。
天水の麒麟児
三国志、三国志演義でも少し語られることですが、姜維は母親が女手一つで育てられた人物です。元々姜氏は天水でも有名な豪族だったのですが、姜維がまだ幼い頃に父親は異民族の反乱鎮圧で戦死したと言います。しかし父の姿をあまり知らずとも姜維は幼い頃から優秀であり、才気煥発な若者でした。このため姜維は「天水の麒麟児」と呼ばれたのです。
麒麟児という意味
ここで少し麒麟児について話しましょう。前述したように、麒麟児というのは幼い子供、若者でありながら優れた才能を持っている人物に対して使う言葉です。この麒麟というのは中国の霊獣であり、鳳凰や龍というようなものたちと同じような存在です。未だ他人に用いられていなかった諸葛亮やホウ統を「伏龍」「鳳雛」と呼んだように、古代中国では才能ある人間を良く霊獣に例えていたんですね。
麒麟児は他にもいる!
さて麒麟児というと姜維を想像するという人は多いでしょうが、何もこの「麒麟児」という呼び方は姜維のみに当てはまる言葉ではありません。例えば呉の武将であり、若くして亡くなるも破竹の勢いで乱世を駆け巡った英雄、孫策。
彼もまた「江東の麒麟児」と呼ばれたと言います。因みに日本でも「山陰の麒麟児」として山中幸盛、山中鹿之助がそう呼ばれていました。
麒麟児の「不幸」
繰り返して言いますが、麒麟児というのは「若くして才能を発揮した人物」への評価です。ただし先ほど挙げた二人の最期を見てみれば分かりますが、麒麟児と呼ばれた人物であっても決して良い最期を迎えたとは限りません。
二人とも、そして姜維もまた、敵に勝つことができないまま、大志を遂げられないまま命を落とします。この麒麟児の不幸が日本でも中国でも、時代を越えても繋がりが見えるのは何だか哀しいですね。
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