こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
ロシアの怪僧の実態
やがて、ラスプーチンはアレクサンドラをはじめ宮中の貴婦人や宮廷貴族の子女から熱烈な信仰を集めていきます。
その理由はシベリアで鍛えられたラスプーチンの野性的な肉体と巨根と超人的な精力という噂が当時からあり、秘密警察もラスプーチンの奔放な下半身事情に呆れたと報告書に記載したそうです。
しかし、そんな風聞の一方でラスプーチンはサンクトペテルブルクにアパートを5部屋借りて、田舎から家族を呼び寄せて暮らしていましたし、非常に金銭に淡白で物乞いに大金を与え、レストランでも気前よく勘定を支払い「無欲な人格者」と人気がありました。
ただ、文盲に近いラスプーチンが皇后や貴族の子女の人気を集める事で、他の貴族は反発し嫉妬心を剥きだすようになります。その頃から、ラスプーチンは宗教裁判に引っ張り出され、新聞は面白おかしくスキャンダルを書きたてました。
それに影響されて、元々はラスプーチンに好意的だった人々も離れていき、政治家や宗教家もラスプチーンを「不道徳者」「異端者」「エロトマニア」などと非難して、サンクトペテルブルクから追放しようとします。
ラスプーチンの怪僧イメージの半分以上は、このような人間の嫉妬と面白半分の新聞報道のせいではないかとkawausoは思います。
ですが、スキャンダルの嵐の中でも、ニコライ2世とアレクサンドラはラスプーチンの味方であり彼を庇い続けました。ラスプーチンと身近に接した皇帝夫妻だから、彼の本当の姿が分かる部分があったように思います。
ラスプーチン暗殺未遂
1914年6月29日、スキャンダルを避けてポクロフスコエ村に帰郷していたラスプーチンは自宅で刺客に短剣で腹部を刺されます。しかし、頑強なラスプーチンは部屋を飛び出して、地面に落ちていた棒で反撃したので難を逃れました。
ラスプーチンは医者が来るまで自宅に留まり医師の治療を受けますが、ここでは十分な治療が出来ないので、船でチュメニの病院へ移送。知らせを聞いたニコライ2世は、直ちに医師団を派遣して手術を受けさせます。7週間後にラスプーチンは退院し、その間、暗殺者の裁判などもあり、この頃一時的にラスプーチンを批判する勢力は影を潜めました。
政治に関与するラスプーチン
ラスプーチンが政治に影響力を持つようになるのは、1914年5月頃で第二次バルカン戦争において、ニコライ2世がバルカン諸国の分裂回避に動いたのに反対した時のようです。
このために、ラスプーチンは汎スラブ主義を標榜するニコライ大公、ピョートル大公、その妻であり自身の支持者でもあったミリツァ、アナスタシア大公妃姉妹と敵対することになります。
一方でラスプーチンは、第一次世界大戦前にはドイツ帝国との戦争に猛反対、戦争が始まるとロマノフ王朝とロシアの君主制が崩壊すると予言します。しかし、汎スラブ主義ロシアと汎ゲルマン主義のドイツの対立は回避不可能で、ロシアは大戦に参戦、戦争は短期で決着するとの楽観論を覆し、長期化、そもそも戦争どころではないロシア帝国は東部戦線で150万人以上のロシア兵を戦死させ、国内では物資不足が深刻化していきます。
そしてロシアでは、敵国であるドイツ系住民への排斥運動が力を持ち、外国人の商店が襲われた他、ドイツ系のアレクサンドラ王妃がスパイ視される風潮が生まれます。
1915年ドイツ軍がワルシャワを占領しロシアの大撤退が行われると、国内では深刻な弾薬・兵器不足に陥り、政界では政争が激化、軍事大臣ウラジーミル・スホムリノフが失脚するなど国内は混沌としていきました。
ラスプーチンとアレクサンドラ
戦局の悪化を挽回すべく、ニコライ2世は士気を維持するため皇太子アレクセイと共に親征に出撃します。これはラスプーチンの予言だったようです。しかしこの人事は連合軍に信頼が厚い、ニコライ2世従叔父、ニコライ・ニコラエヴィチ大公をクビにして行われたもので対外的には受けが悪いものでした。
ニコライ2世の親征中、内政はアレクサンドラと彼女が相談役としたラスプーチンが担当することになります。皇后は良妻賢母で、自ら看護師資格を取ってまで従軍し、兵士を看病する慈愛のある人でしたが、性格は内向的で迷信深くヒステリックであり政治向きではなく、ロシア国内では評判の悪い人でした。
ロシア中が反皇后、反ラスプーチンの機運に
それに加えてアレクサンドラは現在戦っているドイツ系の皇后。
おまけに、ラスプーチンを神の如く崇拝していたので、彼女の指示は、そのままラスプーチンの意見でした。
当然、反皇后派は「現在のロシアは狂った運転手がブレーキも踏まずに狭い山道を走っているようなものだ」と猛批判。これに対し為す術がないアレクサンドラ皇后は、権力を濫用し反対派の大臣のクビを切るという感情的な措置に出てしまい事態は紛糾していきます。
ロシア議会は、罵り合いの巷と化し、アレクサンドラとラスプーチンをドイツのスパイと糾弾し、また二人は愛人関係にあるという風聞も飛び交います。
反アレクサンドラ皇后派は、皇帝の大臣たちは皇后とラスプーチンの傀儡となっていると指摘し、ラスプーチンが生きている限り、ロシアは勝利できないと叫び、わざわざ、こんなゴタゴタをパンフにして前線にまで配布し前線の士気を下げます。
厳しくなる戦況に、アレクサンドラ皇后と、ラスプーチンに対する批判は議員ばかりか、貴族や庶民にまで拡大し、アレクサンドラのイギリス追放やラスプーチンの暗殺まで計画されます。ここに至りラスプーチンは故郷のポクロフスコエ村に帰郷していきました。
【次のページに続きます】