于吉仙人は実在したの?謎と諸説がたっぷりな仙人・于吉


 

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穴から呂蒙を覗く孫権

 

三国志ではあっさりと退場していく武将たちも、三国志演義ではドラマチックに退場していったりします。もちろんもっと壮絶に討ち死にしているのをあっさりと病死にしたりもしますが……それはそれ。

 

于吉

 

今回はそんな中から武将、孫策(そんさく)の退場に演出を加えた仙人・于吉(うきつ
)
の話をしましょう。仙人と呼ばれた彼らしく、謎がたっぷりの人物像をご紹介しますね。

 

三国志演義の于吉・前編

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

まずは三国志演義の于吉のおさらいをしていきましょう。孫策は許貢(きょこう
)
の残党たちに深手を負わされますが、命は取り留めます。この時に医者から「激しく暴れる」ことを止められ、同時に「感情を穏やかに」過ごすようにと申し付けられます。

 

袁紹に告げ口をする逢紀

 

しかし事の起こりは袁紹(えんしょう)からの使者が訪れた時、宴の席で皆が席を外れて通りかかった于吉(うきつ)仙人を見に行ってしまいます。

于吉、孫策

 

孫策は「人心を惑わす者」として于吉を捕縛、周囲からの言葉もあり孫策は于吉が雨乞いを成功させなければ火炙りにすると申し付けますが、于吉は雨乞いを成功させます。それでも孫策は于吉を許さず、殺害してしまいました。

 

三国志演義の于吉・後編

于吉、孫策

 

それから孫策は死んだはずの于吉に悩まされることになります。どんどん孫策は体調を崩し、やつれていくようになっても于吉を斬ったことを省みることはありません。そしてある日、鏡を覗くとそこにはまた于吉が!

 

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

孫策は鏡を叩き割りますが、この時に激昂したためにか傷口が開いて倒れてしまいます。その後、孫策は己の命運を悟り、部下と弟に後を託して亡くなります。

 

このように三国志演義の于吉は孫策の最期を演出する役割として出てくるのです。ですが于吉は決して三国志演義の創作の人物という訳ではありません。

 

「三国志」には于吉は出てこない

于吉

 

ここで勘違いしないで欲しいのですが、陳寿(ちんじゅ)の三国志には于吉の名前は一切出てきませんし、記述もありません。しかしこの三国志には後に裴松之(はいしょうし)による注釈が付け加えられているのは皆さんご存知の通り。

 

封神伝(書類)

 

そしてこの孫策の最後に裴松之は「江表伝(こうひょうでん)」「志林(しりん)」「捜神記(そうじんき)」という三つの書物から逸話を加えています。この中になんと于吉の名前が出てくるのです。次はその中に出てくる于吉を見ていくことにしましょう。

 

江表伝の于吉

三国志演義_書類

 

琅邪郡(ろうやぐん)出身の人物で、符や水を使って病気を治していた人物だったそうです。この流れは三国志演義とほとんど同じですが、于吉の助命のために配下の将軍らが連名で陳情書(ちんじょうしょ)を出します。

 

董荼那(南蛮族)

 

孫策はここで張津(ちょうしん)の名を出し、張津が怪しい道術に染まった結果蛮族に殺された、道術は無益であると断じて于吉を斬首にしてしまいます。しかし于吉を慕う者たちは于吉は死せず、魂は肉体を離れて仙人になったと于吉を祀ったようです。ただし張津はこの後でも夏候惇(かこうとん)の手紙に名前が出てくるので、裴松之はこの説については偽の説ではないかとも書き記しています。

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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