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志林の于吉
後漢八代目皇帝の頃のこと、于吉の弟子が神書を献上しに来たとされています。ただしこの神書は胡散臭いと相手にされなかったものの、後に張角が大平道の原型にしたとも言われており、三国志で孫策が于吉を指して「黄巾の乱のことを忘れたか」と言いたくなるのもある意味で筋が通りますね。
しかしこの于吉が孫策に殺害された于吉と同一人物となると、なんと既に于吉は100歳近くになるので同名なだけで会って別人では?とされてもいます。実際に同一人物だったら、その時点で仙人のような気がしますね!
捜神記の于吉
なんと、曹操へ向かうための船団に孫策が共に連れていったとされているちょっと異色の于吉が捜神記の于吉。行軍の最中に猛暑で苦しむ将兵たちが于吉の下に集まるのを見た孫策は「お前たちは俺よりも于吉を慕うのか」と怒って于吉を捕らえ、船の上で雨乞いをさせることになります。
于吉は雨乞いを成功させるもやはり孫策から殺されてしまい、その後孫策は于吉の亡霊を見るようになって暴れ、それによって傷が開いて亡くなったとしています。ちょっと謎なのはわざわざ連れていって殺すというちぐはぐな所ですかね。
裴松之自身も「江表伝と捜神記で于吉の話がちぐはぐでどっちが正しいんだ」と言っているので、やはり于吉の謎は大きいようですね。
于吉の謎
これらの話を見ていて共通点として、仙人のような不思議な術が使えて慕われていた、孫策に処刑された、というポイントが浮かび上がってきます。しかしそれぞれの話がかみ合わないのも事実であり、どれが本当かというのは今としては難しい所でもありますね。
またこれらを見事に混ぜ合わせて三国志演義の于吉が生まれたのでしょう。これらの記述が全て本当かどうかは言い切れませんが、それでも于吉という人物が全くの架空の人物ではないと思うと、何だか不思議なものを感じますね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は孫策の最期を演出する仙人、于吉について調べてみました。色々な逸話があり、そしてそれでなお謎が残る人物、于吉。これらの話を統合してもなお不思議を感じさせる存在、それを人は仙人と呼んだのかもしれませんね。すっきりしたとは言い難いですが、こういう登場人物の成り立ちは面白いと思いました。
文:セン
参考文献:呉書破虜討逆伝
『江表伝』『志林』『捜神記』
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