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この記事の目次
呉軍太守が足かせになった?
ここからは筆者の考察と言うか、妄想ですが……現代での評価は、どうしても華々しく戦で武功を挙げたかどうかが注目されます。基盤となる土地を支えた、大切な土地を長く任されていた、これは考えてみればとても重要なポジションなのですが、その一方で「後方太守かぁ」という一言で片づけられてしまうことがあるのですよね。この辺りは当時と現代の感覚の違いとなって、朱治の評価、知名度に関係していると思います。
朱治の存在が呉の命運を縮めた!?
そしてもう一つ考えてしまうのが、朱治の評価が高くなり過ぎたことが後々の呉の命運を縮めたから、クローズアップしにくいのでは……という妄想。朱治は孫家としても世話になり続けた、いわば大事にしたい名門。
その子朱才は偏将軍となり、孫は鎮西将軍にも任ぜられたという記録が残っています。ただしこのような名門の子を登用し続けることは門閥貴族の専横を招くことにも繋がってしまうこともままあります。現に孫呉は後々お家問題が深刻化し、それが弱体化する大きな原因となっていますよね。
朱治の存在は助け「でも」あった
もちろん朱治自身に罪や非がある訳ではありません。しかし朱治の存在は孫呉にとって助けであり、その後は影を落としてしまった……そう考えると、歴史や政治の皮肉さ、難しさを感じさせる人物でもあります。
そういった影がどうしても朱治が今一歩評価されることに二の足を踏ませているのでは……と考えたのですが、どうでしょうか?
それでもなお、朱治の功績と存在はもっと評価されて欲しい所ですけどね。
三国志ライター センのひとりごと
繰り返すようですが、朱治はまだまだ現代でも評価されて良い人物だと思います。陰になり日向になり、孫家を支え続けた朱治。ただ朱然の叔父であるとだけでなく、もっと朱治自身のクローズアップもされて欲しいですね。
参考文献:呉書朱治伝
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