大人気春秋戦国時代漫画キングダム、7月22日は休載でしたので、来週までのお楽しみでキングダムの裏側や雑学を色々書いています。
キングダムの予想サイトは数あれど、こんな面倒くさい事を嬉々としてやっているのはkawausoだけと自負しておりますが、今回は趙がほろぶのは魏の責任が60%と題して、裏からキングダムを斬ってみましょう。
この記事の目次
キングダム649話雑学「余りにもやられ過ぎな魏」
漫画だけ読んでいると気づきにくい視点ですが、趙と魏と韓は三晋と呼ばれ、過去に存在した超大国の晋が3つに分裂したものです。その為、三晋は基本的に秦に対しては共同戦線を張り、合従軍の常連でもありました。
元々は、上図のごとくキングギドラのように絡み合い秦に対抗していた三晋ですが、秦王嬴政が即位する頃になると魏が息切れし、負けがこむようになります。
キングダム649話雑学「蒙驁に20城以上を陥落させられる」
紀元前242年、史実では王翦に匹敵する名将蒙驁が、魏を制圧すべく進軍を開始します。最初に酸棗を平定すると、燕虚、長平、雍丘、山陽城を抜き20もの城を落として、ここに秦は東郡を置いて住民を移住させて直轄地にします。
その後も、紀元前238年には、魏の垣、蒲陽を攻め、楊端和が魏の衍氏を攻め落としています。漫画では目立ちませんが、魏の持つ城邑は30位ですから2/3を奪われた形です。
このように城を削られた結果、魏はどうなるのでしょう?
キングダム649話雑学「魏を後退させ趙を半包囲」
御覧のように、紀元前230年の勢力図では、紀元前249年に比較して魏は大幅に領地を減らしているのが分かります。秦は赤い帯のように領地を拡大させ、趙と韓、魏を分断する事に成功していました。
これにより秦は同盟国の斉と境を接すと同時に、趙を半分包囲します。では、どうして秦は韓と魏から趙を隔離したのでしょうか?それは、趙の王都である邯鄲を二正面作戦で攻撃する為でした。
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