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董承は本当に献帝派だったのか?
さて三国志演義では献帝が信頼できる数少ない部下、曹操暗殺を託されるなど忠臣として描かれる董承ですが、正史でも同じかと言うとそうでもありません。
そもそもとして、曹操を献帝と引き合わせたのは董承と言って良いですし、言ってしまえば献帝が悩む原因を作ってしまった人物とも言えるでしょう。
上手く使えば献帝の力となれたかもしれない楊奉を追い落としたりもしていますし、正史の董承はどちらかというと利己的な面が強く感じるのですよね。
ツッコミどころ満載
因みに董承が曹操の暗殺を献帝から頼まれたのは出来事は正史にもあるのですが、この時に董承が手を組んだ人物に劉備がいます。何が問題ってこの時の劉備は袁紹の配下と言っても良い存在。
劉備を引き込んでも曹操が袁紹に代わるだけなのではないでしょうか……しかも袁紹は董卓に怨みがあるので、董卓に擁立された献帝に対してどんな行動を取るかは分かりません。下手をすれば曹操よりも献帝の扱いは悪くなってしまうのではないかと思うのです。
それを考えると董承は今一つ献帝のことをおもんばかっていないなぁ、と思いますね。
皮肉な最期
しかし考えて見ると運命は皮肉です。皇帝の一族は決して安泰な身分ではありません。霊帝の子も多くは夭折し、献帝も幼い頃からその身が危ないことは多かったでしょう。
一時的に保護してくれたとはいえ、傀儡として利用した董卓。その頃には特に何かしたわけでもなかった董承が、その際に手助けしてくれた楊奉らを追い落とし、そして董承を曹操が粛清し……
献帝の人生を振り返ると、傀儡とはいえ曹操の元に来たのはある意味で一番良い選択肢だったのでは……なんて感じてしまいますね。
三国志ライター センのひとりごと
個人的な意見ですが、董承が三国志演義で忠臣として描かれたのは曹操の悪役化と共に、献帝、つまり皇帝が頼った人物が無能ではならないという理由があるのではと思います。そのため董承が良い人間として描かれることになったのではないでしょうか。そう考えると三国志演義でのメリットを受けた人間と言えますね、董承は。
参考文献:
後漢書献帝紀 董卓伝
魏書武帝紀
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