織田信長の逸話やエピソードのウソ・ホント15連発!


 

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信長公記_織田信長_書類

 

日本の歴史上、最も有名な人物の1人である織田信長(おだのぶなが)。その信長にはたくさんの逸話やエピソードがあります。今回は、それらの真偽を検証していきたいと思います。基本的に、歴史学上重要な1次史料を元に行っています。が、それでも「歴史は昔のことでよく分かっていない」というスタンスで軽く読んでいただければと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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織田信長の逸話:うつけだった

父の墓に抹香を投げつける織田信長

 

たぶんホント。

「異様な見た目の服装で街を歩き、栗や柿、瓜を食べながら歩いた」と『信長公記(しんちょうこうき
)
』にあります

 

武家の嫡男がこうであった、という貶めるような記録は、かなり珍しいことです。普通は、「武芸に優れ、読み書きも○才にはすでにできた」というような、生まれ持って天才だとするものが多いのです。わざわざそれを記録に残すのは、本当であったからと考えられるでしょう。

 



織田信長の逸話:男色だった

前田利家の武勇を賞賛する信長

 

1次史料にはありません。なのでウソ?

とも言い切れないのがこの説。当時の悪ガキは遊びでよく行っておりました。また、前田利家(まえだ としいえ
)
森蘭丸(もりらんまる)といったイケメンのお供を連れていたことから噂された、ということもあるのでしょう。

 

織田信長の逸話:イケメンだった

宣教師 ルイスフロイス

 

これはたぶんホントです。宣教師が描いた肖像画が残っています(教科書に載っているような日本画とは全然ちがうやつ)。これを信じるならば、現代にも通じるような無骨な感じの男前です。

 

現代の俳優で言えば小澤征悦(おざわ ゆきよし
)
似かな?

(すみません。もっと他にいそうです)

 

まあ、これでも当時としては柔らかい印象なのかもしれません。信長は、「中くらいの背丈で、華奢な体躯だった」という記録があります(ルイス・フロイス「日本史」より)。ですので、やや優男という印象だったのかもしれません。

 

織田信長のエピソード:戦が好きだった

火縄銃を気に入る織田信長

 

ホントです。先ほども出てきたルイス・フロイスというキリスト教の宣教師の記録(日本史)に「極度に戦を好み」とあります。また、軍隊に関しても、それまで誰も行っていなかった部隊を作るなど、画期的なことを行っています。

 

天下布武(てんかふぶ)」というスローガン通り、「武力」を重要視していたことは間違いないでしょう。で、ここからしばらく、この「日本史」というものに沿って話を進めます。

【次のページに続きます】

 

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しばがき

sibagaki

ライター自己紹介: 歴史はやっぱり戦争・動乱期に惹かれてしまいます。平和主義者なのに。。。 好きな歴史人物: カエサル(シーザー) 何か一言: 戦国最強は武田信玄。

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