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この記事の目次
毅然として処刑されたシャルロット・コルデ
シャルロットは、居合わせたマラーの友人たちに取り押さえられ現行犯として国民衛兵に逮捕され同日中にアベイ牢獄に収監され公安委員会の尋問を受けます。
当初、国民公会は、これがシャルロットの単独犯とは信じられず、ジロンド派との関係を執拗に尋問しますが、シャルロットは全て自分で考え決断した単独犯であり、誰の指示も受けていないと他人の関与を否定。
そして、私は殺される事を恐れない、何故なら私1人の死で10万のフランス人民が救われたのだからと義挙である事を強調していました。弁護人もついたのですが、シャルロットは一切、言い逃れをしないので裁判の伸ばしようもなく、陪審員の評決は有罪、死刑と決定しました。
死刑が決まってからも、シャルロットの態度は少しも揺らがなかったそうです。処刑当日に死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンがシャルロットの手を後手に縛ろうとするとシャルロットは
「手に傷がつかないように手袋をしても宜しいでしょうか?」と尋ねサンソンが
「私は全く痛みを感じないように手を縛る事が出来ます」と答えると微笑んで縄目を受けたと伝えられています。
その、か細い首にギロチンの刃が落ちるまで、シャルロットは神々しい威厳をまとっていました。サンソンの弟子が慣習で落ちたシャルロットの首を持ち上げて頬をぶつと、見物客は、弟子に猛然と抗議、サンソンは弟子をクビにしたそうです。
シャルロットの最後は多くの芸術家にインスピレーションを与え、暗殺の天使と呼ばれるようになるのです。
西洋史ライターkawausoの独り言
シャルロットがマラーを暗殺した時、ジロンド派の人々は、なんでマラーを?と首を傾げたそうです。その頃、マラーは皮膚病の悪化で議員を辞職し、ただの一市民になっていて、ろくろく権力を持っていませんでした。
ジャコバン派はマラー暗殺を最大限に利用、ジロンド派への弾圧を強化します。シャルロットの行動は独善的であれ、それなりの使命感に支えられたものでしたが、結局は誰も救う事が出来ませんでした。
ですが、私達は誰もシャルロットを笑えません。思考のバランスを失い、一つの考えに固執して他を排除し憎悪するというのは、どんな人でも一度や二度は経験した事がある事だからです。
(文:kawauso)
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