「そろそろ覚悟を決めて結婚したらどうですか?」
「もうあんたは誰かと一緒になった方がいいですよ」
数か月に1度は職場でこのネタが出る。私以外にも未婚の男子はいるはずなのに、なんで私だけ言われるのですか?「私が何かしましたか?」と叫びたくなります。
さて、こんなの時に話したくなるのは夫婦の話です。三国志に登場する夫婦の話は多いですが、今回は司馬懿とその妻である張春華について解説します。
※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく解説しています。
この記事の目次
曹操の恩人司馬一族
司馬懿の父の司馬坊は若き日の曹操を洛陽北部尉に推薦したことがありました。洛陽北部尉とは洛陽北部の警察署長です。曹操はこの時に宦官の騫碩の親族が夜間通行禁止の命令を無視したことで処罰しています。結果、曹操は地方に左遷されますが名前が広まることになりました。
つまり曹操にとって司馬一族は恩人でした。建安5年(200年)に曹操は長年のライバルである袁紹を官渡で破りました。袁紹との戦いを終えて一段落した曹操は、人材登用に努めます。その時に声をかけたのが司馬坊の息子である司馬懿でした。
曹操からのスカウトと暗殺指令
曹操からすれば昔の恩を返すつもりでスカウトしたのですが、司馬懿はあまり乗り気ではありません。司馬懿は曹操の政治手法があまり好きではなかったらしく、「足の風卑」と言って断っています。
風卑とは現在の関節麻痺のことです。曹操も仮病ではないかと疑って密偵を放ち、「ピクリと動いた時は殺していいよ」と命じました。だが、司馬懿は曹操の考えを読んでおりベッドから全く動きません。だまされた密偵はそのまま帰ってしまいました。
アクシデント発生
曹操からの密偵が帰っても司馬懿は念のため寝たふりを続けます。さすがに召使いに寝返りの手伝いはしてもらっていたでしょう。そうじゃないと確実に褥瘡になります・・・・・・寝たふり生活を続けていたある日、突然雨が降り出しました。外に虫干し中の書物がたくさんあります。
「誰か来てくれ!」と司馬懿が読んでも召使いは遠くにいるのか来てくれません。やむを得ないと感じた司馬懿は、「ちょっとの間なら・・・・・」と思って起きて片付けを始めました。
ところがその光景を1人の女中に見られました。実は司馬懿が寝たふりをしていたのは、召使いにも内緒だったのです。逃れられない事態に陥った司馬懿でしたが、次の瞬間に救世主が訪れました。
まさかの未成年の殺人!?
女中はあっさりと斬り殺されてしまいました。やったのは司馬懿の妻である張春華でした。彼女は女中の口から真相が漏れるの恐れて、夫と家を守るために女中を殺したのでした。
さすがに殺すのはやりすぎでは・・・・・・というのは現代の考え方なのでこれ以上のツッコミは無しですね。
もっと恐ろしいことがあります。張春華は中平6年(189年)の生まれ。女中殺しがあったのは推測ですけど、早くて建安6年(201年)です。つまり、彼女は13歳の時点で人殺しに手を染めているのでした。司馬懿は彼女のおかげで命拾いしたのですが、感謝するどころか逆にびびって以降は張春華を遠ざけてしまいました。
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