今回は街亭の戦いについて……と言っても、街亭の戦いをそのまま説明されても今更だと思う人も多いでしょう。
そこで今回は筆者の一押し武将である曹真の動き、街亭の戦いの際の曹真の動きを解説しましょう。同時に曹真が諸葛亮の北伐にどのように対応していったのか、も見ていって頂きたいと思います。
ざっくりとした街亭の戦い
さて街亭の戦いについてざっくりとおさらいしましょう。街亭の戦いとは蜀と魏が戦った戦いであり、何度も繰り返される諸葛亮の北伐の第一回目とも言えるある意味記念すべき戦いです。
この戦いで一番注目されるのは大体三国志での困った方向での有名人、馬謖が山に登ったことで、下手をすると馬謖が諸葛亮に泣いて斬られたことばかり注目されていることも……多少あると思います。
しかしこの街亭の戦いで注目するべきは蜀ばかりではなく、魏の武将たちの華々しい戦いも見て頂きたいと思うので、そこを主に曹真の動きに注目して見ていきましょう。
まず諸葛亮伝
まず街亭の戦いにおける諸葛亮伝を少し見て見ると、こう書かれています。
「趙雲を囮に使った」
「ピ(斜谷道の出口付近)を攻撃すると噂をすると曹真はそっちに向かった!騙されてやんの!」
「曹真の隙を付いて進軍すると南安・天水・安定の三郡は蜀に寝返って魏の朝廷は恐れおののいた」
という感じに街亭の戦いが始まっています。が、これが曹真の伝を見てみるとどうなるかも見ていきましょう。
魏とのすり合わせをすると……
「蜀軍が攻めてきて祁山を包囲すると、一時的に南安・天水・安定の三郡が蜀に降伏した」
「曹真は曹叡の命令でピに布陣しその迎撃にあたった」
という風に、ピに布陣したのは曹真が騙されたからではなく、曹叡の指示とされています。前述したようにピは斜谷道の出口付近であり、ここから西に行くと諸葛亮本隊、北には街亭があります。
この時に街亭には既に劉備が恐れた武将、張コウが当たっており、曹真はピで趙雲たちを打ち破りました。
曹真の配置の重要性
さて蜀が言うには曹真は騙されてピに行った、魏が言うには皇帝の指示、と話が違いますが、筆者的には曹真はここに備えとして布陣したと思っています。ピは揺動の趙雲軍を打ち破るだけでなく、此処にいれば蜀の諸葛亮本隊にも当たることができ、万が一張コウらが敗退しそうになれば援軍も送ることもできる、ある意味要所。
ここで曹真は趙雲を打ち破るだけでなく、諸葛亮本隊の動きを伺いながら、張コウたちの状態にも備えていたのではないでしょうか?
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