少し前に日本の古代史研究では大化の改新はなかったという発表が話題を呼びました。しかし、その後、大化の改新はやはりあった!という発表が出てきています。
でもその前に、そもそも大化の改新って何なのでしょうか?
後で人から質問された時に困らないように、大化の改新を分かりやすく解説します。
大化の改新とはコラボ案件だった。
昔、日本史の授業で大化の改新を習った人は、天皇を差し置いて権力を奮う蘇我入鹿を中大兄皇子や中臣鎌足が殺害した事件を思い浮かべるでしょう。
でも、現在の日本史教科書では、それは乙巳の変と呼び大化の改新の一部でしかありません。大化の改新の「改新」とは改革の意味なので、蘇我入鹿を殺しただけでは成立しないからです。正式な大化の改新とは、蘇我入鹿暗殺に加え、孝徳天皇を中心とした難波宮での政治改革がプラスされたコラボ事件なのです。
大化の改新とは、蘇我入鹿暗殺と難波宮での政治改革がセットになったものと覚えましょう。
大化の改新はなかった説とは?
一方で、大化の改新は存在しない、後世の創作であるという説も存在します。大化2年(646年)春正月甲子朔、皇極天皇からの譲位を受けて即位した孝徳天皇は大きく4カ条からなる主文からなる改新の詔を発布します。
①天皇の直属民や直轄地、豪族の私地や私民もすべて廃止し公のものとする。(公地公民制)
②首都を定め、畿内の境界を確定させ、今まであった国、県、郡、などを整理し令制国とそれに付随する郡に整備した。
③戸籍と計帳を作成し、公地を公民に貸し与えて一代ごとに返却させて配り直す(班田収授法)
④公民に税や労役を負担させる租・庸・調の制定。
これらは唐の律令制に倣ったもので、豪族の連合政権だった大和朝廷が中央集権国家に移行する為に重要な改革であると考えられていました。
しかし、戦後、日本書記の改新の詔に後世の捏造があった事が明らかになります。
例えば①の天皇という称号はこの頃にはなく大王と呼ばれていた事や、②の郡が読みは同じですが、従来の漢字では評価の評という漢字を宛てて、評と書かれていた事。さらに③は庚午年籍という最古の戸籍が670年にしか作成されてなく、646年から24年もの間、戸籍編纂事業が放置された事になり、詔が発布されたにしては動きが遅く不自然というものです。
これらの矛盾から改新の詔は646年には発布されず、668年以降の天智天皇の時代以後に出来たものが捏造により646年に前倒しされたという考えが大化の改新なかった説です。
大化の改新、あるの?ないの?
では、大化の改新は無かったのか?というとそうとも言い切れません。近年、考古学の発見により大化の改新はあったという証拠が補強されてきたのです。
例えば、1999年、孝徳天皇の御所である難波長柄豊碕宮の実在を確実にした難波宮跡での「戊申年(大化4年・648年)」銘木簡の発見。
さらに、2002年の奈良県、飛鳥石神遺跡で発見された庚午年籍以前の戸籍の存在を裏付けた「乙丑年(665年)」銘の「三野国ム下評大山五十戸」と記された木簡が出土し、改新の詔に後世の捏造はあるものの一定の改革はあったとされます。
ですので、大化の改新はあるのか?といえば一部捏造はあるが改革はあったと言えます。
大化の改新は内ゲバではない
大化の改新というと、従来、天皇の地位を奪おうとする蘇我入鹿に対して、皇族である中大兄皇子が中臣鎌足等を味方に付け、宮中に参内した蘇我入鹿を殺して権力を奪い返した内ゲバと考えられていました。
しかし、現在では東アジアの政治情勢の変化に反応したものと考えられています。当時、中国では隋が滅んで唐が建国され、中央集権制を敷いて周辺諸国を圧迫していました。最初に圧迫を受ける朝鮮半島では、高句麗の大臣が独裁体制を敷き、百済では国王が専制体制を敷いていました。
百済と関係が深い渡来系の蘇我氏は、アジアの政治情勢を受けて危機意識を持ち、天皇(大王)を傀儡として操り、高句麗型の独裁政治を志向したのです。
一方で、遣唐使を通じて唐に渡った僧侶や留学生も帰国後、唐の制度を参考に豪族連合を解体して中央集権王朝を志向します。中大兄皇子や中臣鎌足はこの代表でした。
つまり、乙巳の変は単純な内ゲバではなくアジアの国際情勢をにらんだ上で、蘇我氏と天皇のどちらが日本の中央集権を成し遂げるか?という壮大な話だったのです。
日本史ライターkawausoの独り言
大化の改新については、次々と新しい発見があり、古代史から離れているとびっくりしますが、現在は蘇我入鹿の暗殺と難波宮での政治改革を合わせて大化の改新と考えておけば、間違いありません。
また、可能なら改新の詔には、後世の捏造部分もあるが、一部は真実であり中央集権制に向けての改革は一部は行われた。という所まで覚えておく完璧です。
参考文献:ゼロからやりなおし 日本史見るだけノート
参考:Wikipedia
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