近親婚というのは、兄妹、親子、叔父と姪のような血縁的に近い関係で結婚してしまう事を言います。しかし、近い遺伝子同士が結びつくと、その遺伝子特有の疾患が出現しやすくなり、病気で早死にする確率が高くなるので、有史以来、多くの文明圏では近親婚はタブーとされるか、奨励される事がありませんでした。
ところが、近親婚は欧州貴族に関しては例外になるケースが多かったのです。それは、どうしてなのでしょうか?
この記事の目次
近親婚で滅亡したスペイン・ハプスブルグ家
最初に、繰り返された近親婚が原因で滅亡したと考えられるスペイン・ハプスブルグ家を見て見ましょう。
例えば、スペイン・ハプスブルク家、最後の王であるカルロス2世の父、フェリペ4世と母マリア・アナは、伯父と姪の関係であり、曾祖父のフェリペ2世とその妃アナ・デ・アウストリアも伯父と姪の結婚でした。
このような近しい関係での婚姻が繰り返された結果、カルロス2世は4歳まで喋る事が出来ず、8歳まで歩けない程に病弱であり、先端巨大症により顎が巨大になり咀嚼に影響し常によだれを垂れ流していました。長くしゃくれた顎は「ハプスブルクの顎」と呼ばれ、ハプスブルク家の出身者に多くみられる身体的な特徴です。
また、先天性疾患として、癲癇や知的障害も併発し、二度の結婚をしていますが生殖能力も不能で子供に恵まれませんでした。結局、カルロス2世は後継者をブルボン王朝出身のアンジュー公フィリップに譲り、彼がフェリペ5世として即位しスペイン・ハプスブルク家は断絶する事になります。
血が濃すぎるのはよくない!わかっちゃいるけど
遺伝というモノが現在ほど知られていない昔でも、近親婚により病弱な子供が生まれる危険は経験で知られていました。しかし、わかっちゃいるけど、やめられないという事情もあったのです。1つは近親婚には、高貴な人間同士が結婚する事で尊い血を維持するという考え方が存在しました。
これにより、自分達よりも明らかに家格が落ちる家柄からは、嫁も婿も取らないという考え方が生まれたのです。もう、1つは財産の分散を防ぐという考え方もあり、血縁的に近い人間同士で近親婚を繰り返す事で財産を保持しようと考えたのです。
また、近親婚の弊害は、毎回必ず出てくるわけではなく障害のない普通の子供が誕生する確率の方が高くなります。もし病弱でも王族であれば、その時代の最先端の医療が受けられるのだから問題ないとも考えられていました。
スペイン・ハプスブルク家没落の理由
近親婚が繰り返されたスペイン・ハプスブルク家ですが、それでも、フェリペ2世までは欧州各地の王族との通婚を続け、血が濃くなり過ぎないように注意を払っていた傾向があります。
しかし、フェリペ2世以降は、3等親間での結婚(姪叔婚)が増加していきました。その大きな理由は、スペイン・ハプスブルク家がカトリックの擁護者として振る舞う程の厳格なカトリック国だった事です。
その為に、プロテスタントや正教会の王侯との結婚は論外という事になりました。また、ハプスブルク家自体が、ヨーロッパ諸侯の名門になってしまい、家格の低い諸侯との婚姻も不可能になっていた事も婚姻の選択肢を狭くします。
このような縛りを考慮すると、スペイン・ハプスブルク家が縁組できるのは、
①フランス王家、②ポルトガル王家、③ボヘミア=ハンガリー王家
④ポーランド=リトアニア王家、⑤オーストリア・ハプスブルク家の5家だけでした。
しかし、フランスとはドイツ三十年戦争以来敵対関係になり、ポルトガル王家はフェリペ2世以降はスペイン・ハプスブルク家と融合して消滅。ボヘミア=ハンガリー王家はオーストリア・ハプスブルク家と同族になり、これまた消滅。ポーランド=リトアニアでは、ヴァーサ家の断絶後には、政権が乱立して特定の王家が存在しなくなりました。
その為、スペイン・ハプスブルク家は、オーストリア・ハプスブルク家の両家の間で通婚を繰り返すしかなくなり、急激に近親婚の弊害が強くなっていったのです。
ブルボン王家も近親婚による遺伝性疾患に悩んだ
近親婚による遺伝的な疾患はスペイン・ハプスブルク家だけに限りません。カルロス2世の後を継いだフェリペ5世の出身国であるブルボン家でも初期から近親婚が繰り返されていて、深刻な弊害が生まれていました。
例えば、フランス王シャルル5世の王妃であるジャンヌ・ド・ブルボンは、父のピエール、祖父のヴァロワ伯シャルルに遺伝性疾患と見られる精神病があり、ジャンヌやその兄弟も例外ではありませんでした。彼女は、王太子のシャルル6世を含む9名の子供を産みましたが、非常に感情の起伏の激しい女性だったそうです。
ジャンヌの息子のシャルル6世は即位しますが、20代半ばにガラス妄想と呼ばれる精神病を発症して、政務が執れなくなり42年間も王位にあったものの、フランスの政治は家臣団とイングランドの影響に左右され百年戦争の原因にもなりました。
また、シャルル6世の孫にあたるイングランド王ヘンリー6世も英仏百年戦争の末に、フランスにあったイングランドの領地をほぼ失うと精神障害を発症して政務が執れなくなり、薔薇戦争を引き起こす原因になりました。最後には政変が起きてエドワード4世が即位し、ヘンリー6世はロンドン塔に幽閉されて生涯を閉じます。
また、冒頭で紹介した、カルロス2世の後を継いだ、ブルボン王家出身のフェリペ5世も、晩年には躁鬱病が悪化、衣服を取り替えず、洗顔しなくなり、昼夜が逆転して夜に政務を執り昼眠るなどの奇行が記録されています。さらに、フェリペ5世の息子のフェルナンド6世も妃のバルバラに先立たれると精神疾患を発症し、廃人同様の生活を送ったそうです。
このようにブルボン家の近親婚も、各国の政治に大きな影響を与えているのです。
世界史ライターkawausoの独り言
近親婚は一般にはタブーとされながらも、欧州貴族については高い血筋を保持したり、莫大な財産を散逸しない為に、自覚的になされていた事が分かりますね。
似たようなケースは、日本でも天皇の外戚となる事で権力を振るった藤原氏と天皇の通婚などで知られています。
現在日本でも、近親婚ではありませんが、大企業の○○さんや、政治家の○○さんは維新の三傑の大久保利通の子孫とか、名門、名族同士が女系を利用して親戚になろうとするのは、よくある事で、やはり高いステータスを持つ人々は結婚相手を狭く選ぶというのは、どんな時代でも変化がないのかも知れません。
参考:Wikipedia等
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