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天才は短命がお約束か?天才の行き着く先とは?


 

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憤死する麋竺(モブ)

 

歴史には、そして物語では、短命の天才が良く出てきます。特に物語に置ける若くして命を落としてしまう天才というのは、定番と言っても良いでしょう。こういったキャラクターの良し悪しの話は置いておくとして、どうして天才と言うと短命のイメージがあるのでしょうか?

 

ハンセン病に侵された徳行者・冉伯牛 冉伯牛

 

今回はそんな天才と短命の関係について、ちょっとお話してみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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天才とは?

四輪車に乗る孔明

 

さてここでまず天才の定義をちょっとおさらいです。

 

魏の韓宣(かんせん)は口喧嘩が強い

 

天才とは天性の才能、つまり生まれつき持った才能の持ち主、ということですが、前人未到の偉業をなした人や、まだ若いのに高い能力を持った人への称賛にも使われる単語です。

 

魏の占い師・周宣(しゅうせん)

 

また例外として後年で評価が変化して、死後に天才と言われるようになる人もいます。

 

天才は必ずしも短命ではない?

 

ちょっと再確認しておきたいのは、天才は「必ず」短命ではないということです。例えば天才として名高い人物の一人であるアインシュタインは、76歳で亡くなりました。これは決して短命、早死とは言わないと思います。

 

つまり「天才の内」で、「短命」の「天才」が注目され、天才が短命であると言われるのではないか、ということです。では天才が短命と言われる理由を、ちょっと挙げていきたいと思います。

 

短命の天才と言われる理由1

同年小録(書物・書類)

 

まず一つの理由として「印象」が挙げられます。例えば失礼な言い方をすれば、ごく普通の人が若くして亡くなった、それは悲しいことです。ですがその一人一人を歴史的に残したりはしないでしょう。

 

しかしもしその人が前途を有望視された天才だったら?偉大な人物の血を受け継ぐ人物だったら?

そうなると人々の記憶に残りやすくなり、記録されやすくなり、その結果として短命の天才がイメージとして残るのだと思います。

 

短命の天才と言われる理由2

呉の小覇王・孫策

 

次に挙げたいのが「注目」です。才能のある人ほど注目されます、人々の関心の的であり、一挙一動に人々が意識を動かします。しかしそれは必ずしも良い意味でとは限りません。

 

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

三国志を例にすれば孫策(そんさく)、彼は若くして破竹の勢いで邁進していきましたが、恨みをかったことから若くして亡くなりました。そんな彼のような人たちに憐憫の情を込めて、短命の天才、と言われるのかもしれません。

【次のページに続きます】

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-三国志の雑学