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孫権の答え
後々、呉と蜀は荊州返還の件でもめていきます。この際に蜀への使者として諸葛瑾が何度か訪れることとなりました。この際に呉の家臣が諸葛瑾が弟と通じて帰ってこないのではないかと危惧し、孫権に進言した時に孫権はこう答えました。
「子喩(諸葛瑾)が私を裏切らないのは、私が子喩を裏切らないのと同じことだ」と。
全幅の信頼
赤壁の際の諸葛瑾の言葉を、孫権は信じていました。と、同時にその言葉にまだ若かった孫権は深い感銘を受けたのではないかと思います。だからこそこの言葉が出てきたのではないかと思うのです。
あの言葉を以前聞いていた孫権としては、言うべきは今、だったのではないでしょうか。……でもこういうと、言った後に「決まった!」みたいな孫権が想像できてしまってちょっと面白可愛いですね。
交わり
劉備と諸葛亮における水魚の交わり、孫策と周瑜における断金の交わり。それにも負けないほどの絆が、二人の間にはあったのではないでしょうか。丁度人材を求めていた孫権と、北から逃げてきて働き場所を求めていた諸葛瑾。
二人の出会いはただの需要がかみ合ったものだったのかもしれません。ですがその出会いが最高のものになったのだと思うと、三国志の、いえ、歴史のロマンと面白さをただ感じる瞬間だと思います。
三国志ライター センのひとりごと
今回は筆者の孫権と諸葛瑾に感じている思いを、ただただ書きなぐってみました。どうしても諸葛というと諸葛亮の印象が強いですが、呉の諸葛も負けてはいません。この二人の話は劉備と諸葛亮に負けないくらい面白さがあります。ぜひ気になりましたら、二人についてもっと知ってみて下さいね。
参考文献:呉書諸葛瑾伝 呉主伝
世説新語
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