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軍人としての評価
そんな諸葛瑾の軍人としての評価ですが、派手さはあまりありません。どちらかというと「味方の損害を限りなく抑える」という戦い方と言えるでしょう。なので評価をするとそれなり、と言ったところでしょうか。
ただし前述したように一個人として、人となりの評価が高い印象です。縦と横と、おそらく上と下と、付き合い方が良く、多く、管理職としてみると呉の中でもかなりトップランクの人材なのではないでしょうか。
おこるときはおこるよ!
最後にちょっと呂壱事件のお話を。
呂壱事件という言ってしまうと呂壱という人物が立場を利用してやりたい放題している中で、周囲が言っても孫権は聞き入れず、やっとのことで事件が収束したのち、孫権は反省して重臣たちに「これからは遠慮しないで政治に意見してね!」と言い出しました。
その際に諸葛瑾は「自分は武官ですから政治については分かりません」と孫権の意見要請を突っぱねたという話があります。他の重臣たちにも無視された孫権でしたが、最終的に諸葛瑾は「今回はどのようにするべきだったか、どうするべきだったか」の意見上奏を行いました。怒る時にはしっかり怒る諸葛瑾、そしてやっぱり何だかんだ孫権を甘やかす諸葛瑾のこのエピソード、中々に好きですね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は諸葛瑾の武官としてのお話をいくつかさせて頂きました。政治方面などの働きなどが多く、対して戦線方面があまり華々しいとは言えないためどうしても武官としては見られにくい諸葛瑾ですが、こちらでも質実剛健な働きをしています。そんな諸葛瑾のまだまだ知られていない一面、この機会に知って下さいね。
参考文献:呉書諸葛瑾伝 呉主伝 陸遜伝
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