こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
儒教の考える容姿について
三国時代の中国では儒教が重要視されていた時代です。このため色々なものに儒教の考えは影響を及ぼしています。その一つに、容姿も存在していたのです。
儒教では才能は顔、見た目にそれが現れると考えられていました。つまりイケメンであることは才能がある人間の証明だった訳です。それを踏まえて考えると「容姿がパッとしない」龐統は「才能がない」と思われていたのも納得がいきますね。
そして更にそれを誇張することで「容姿が悪いのに才能があった」という珍しいキャラクターとして三国志演義での龐統が生まれたのではないか、と思うのです。
時代の背景
因みに容貌が重要視されていたのは、色々な記述から読み取ることもできます。例えば身長が高かった低かった、太っていた痩せていた、髭の色がこうで手足がこうで……三国志に出てくる人たちは多かれ少なかれ、容姿についての記述が多いですよね。つまりこれは「記述として残すほど容姿が重要視されていた」ことの証明であると考えられるのではないでしょうか。
そういう時代と考えると、容貌に恵まれないというだけで才能の目が出なかった人も多かったのかな、なんて何とも言えない気分にならずにはいられないシーンだと思います。
おっと?
最後にちょっと三国志演義での龐統について。容姿が悪い龐統は、孫権からは嫌われ、劉備からは閑職に追いやられと碌な目にあいません。しかし曹操だけは龐統の才能を見抜き、自らの陣営に招いて船を鎖で繋ぐ策を授けて貰った……まあこれは孫権・劉備陣営の罠なんですが……ともあれ、曹操は龐統の容貌を全く気にしていないというポイントがあります。
これを考えると曹操は見た目で人を選ばない人物だったというイメージが既にあったのではないか、と思います。何にせよこの場面、ちょっと孫権と劉備にいい印象がない場面になったのは、もしかして作者からの何らかのメッセージなのでは、といういつもの妄想でした。
三国志ライター センのひとりごと
容姿がどうであれ能力に関係がないのでは?能力があれば容姿は二の次なのでは?
三国志演義の龐統を見るとそう思ってしまいます。しかし容姿がパッとしない、卑しい、田舎っぽい……と言われると、ビジネスの場でノースーツ、ノーネクタイでいるようなイメージも湧いてきます。
筆者は龐統が好きなので、容貌が重要視されていた時代に敢えてそんな恰好をしていたのかな、なんて考えてしまいますが、時代を考えるとまだまだ先取り過ぎた行動だったのかもしれませんね。
参考文献:蜀書龐統伝
関連記事:諸葛亮と龐統は売れ残り?水鏡先生につかまされた劉備
関連記事:劉備のパトロン、龐統・諸葛亮の親戚である劉表とはどんな人?