実際の龐統の容姿ってどんな感じ?イメージはどこから来た?




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司馬徽と劉表

 

劉備(りゅうび)司馬徽(しばき
)
こと水鏡(すいきょう)先生に言われた人物の一人、鳳凰(ほうおう
)
の雛こと龐統(ほうとう)。彼は容姿に恵まれていないことから過小評価されていた……というのが、三国志演義ではやたら強調されるためか、何となく「龐統は見目がよろしくない(婉曲的表現)」というイメージを持たれています。

 

司馬徽とホウ統

 

しかし実際には龐統の容姿ってどんな感じだったのでしょうか?

今回は龐統の容姿について、そして三国志時代の容貌について、少しお話したいと思います。




正史の龐統

龐統

 

まずは龐統について、正史を軽くおさらいしましょう。龐統は荊州(けいしゅう)出身で、身なりが冴えなかったために周囲からの評価は良くありませんでした。しかし水鏡先生に才能を評価されたことで評判が上がり、有名になっていきます。

 

劉備に重く採用されなかった龐統

 

そして劉備に仕えることとなりますが、身なりが良くないことから閑職(かんしょく
)
に回されてしまい、あわやその才能を活かしきれないかと思いきや魯粛(ろしゅく)、諸葛亮が取りなしたので劉備は一晩語り合い、その才能を認めて諸葛亮と同役職を与えることとなります。さてここで疑問点、この「身なりが冴えない」というのはどういう感じなのでしょうか?




正史での龐統の容貌

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

龐統伝を見ると「若い頃から撲鈍で、誰も評価しなかった」とあります。この「撲鈍(ぼくどん)」とは「なまくら・性質が素直で鈍い」という意味です。これだけだと意味が分かりにくいですが、同じ漢字を使う「樸陋(ぼくろう)」は「飾り気がない、卑しい」、「樸野」は同じく「飾り気がなく、田舎風」とあるので、意味合いとしては飾らない容貌、立派でない第一印象、と言った所でしょうか。つまりこの言葉が意味するのは「容姿」ではないのです。



一転、三国志演義では

龐統

 

しかし三国志演義では、龐統(ほうとう)は色黒でげじげじ眉毛のブ男……醜い男として描かれてしまっている龐統。

 

呉の孫権

 

周瑜(しゅうゆ)の葬式で諸葛亮、魯粛に「ぜひ自分のとこで働きなよ!」と誘いを受けてまずは孫権の元へ。しかし容姿が醜いことと孫権の問いかけにまともに答えなかったので嫌われ、そのまま劉備さん家に。

 

龐統

 

ですがここでも「容姿が良くないから諸葛亮が言ってた龐統じゃないのかも」と疑われて閑職に回されるという有様に……その後、その才能は認められますが、これ以上ないほどに「容姿が悪いこと」を強調されています。



容姿に恵まれない描写多すぎ!

蜀志(蜀書)_書類

 

前述したように、正史に置いては「見た目がパッとしない」と書かれていても、決して「容姿が悪い」とは書かれていません。しかし三国志演義ではどうしてここまで容貌を貶められているのでしょうか?

 

舌戦で煽るのがうまい諸葛亮孔明

 

考えられるものとして諸葛亮との対比、もしくは「見た目がパッとしないだけじゃキャラクターが引き立たないな……そうだ!不細工にしちゃおう!」という作者の意図があるのでは?があると思います。しかし大本の考えとしては「儒教の時代」であったことが関係しているというのが筆者の考察です。

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