こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
路招の活躍
まず正史に出てくるのは、199年。この際に曹操は劉備に袁術を討たせようとし、路招は相棒の朱霊と共に、おそらくはその溢れんばかりの才能を曹操に見込まれ、劉備の援軍に派遣されます。
そして特に活躍もなく帰還、正に戦わずしての勝利と言った所でしょうか。その後、208年に朱霊と共に路招はその武勇を買われたのか趙儼の指揮下に入りました。
更には何と212年、この時に朱霊の相棒として周囲から認知されていたのでしょう、朱霊と共に夏侯淵の指揮下に入ります。しかしここで何の計略があったのか朱霊と共に記述されることはなくなり、路招の名は正史から姿を消すこととなります……もしかしたら、恐ろしい陰謀に巻き込まれたのかもしれませんね!
……はい、路招の活躍というか、記述は正史においてこの程度です。朱霊の相棒というのは筆者の誇張ですが、なぜかやたら朱霊と一緒に記載されるという不思議な人物なんですよね、路招は。
三国志演義の路招
因みに三国志演義では劉備の下に朱霊と一緒に赴くも、袁術が蜂蜜水が飲めなかったショックから(語弊アリ)死んでしまい、そのまま帰宅。
この際に軍を置いて二人で帰宅したので曹操は烈火のごとく怒り、二人を処刑しようとした所を荀彧が諫め、命は助かるもののその後の出番はカットされる有様。朱霊も朱霊で活躍が削られているので余計に出番が減らされているという散々な扱いとなっているのでありました。
何とも不思議な縁
路招という人物は、殆ど功績、記録が残されていません。そしてその数少ない記録の殆どが朱霊と共に記されています。ただ相棒というのは筆者の誇張で、実際は二人はどんな仲だったのかさえ分かりません。
しかしこんな風に一緒にいるのを見ると、そこそこ交流があったのでは……?
袁紹から流れてきた朱霊からすると、数少ない当初の友人だったのでは……?
なんて思ってしまうのも、三国志の面白さですね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は敢えて、敢えて正史に記述が少ない、三国志演義ではもっと記述が少ない人物、路招を朱霊と共にご紹介させて頂きました。三国志は有名な武将たちが数多くいますが、どんな人物か良く分からない人物もいるのです。
そういった人物たちを知っておくと、あの時代についてもっと妄想……じゃなかった、ロマンを肌で感じられるようになると思います。良ければこういったマイナーな人物たちにも目を向けてみて下さいね。
参考文献:魏書武帝紀 朱霊伝、于禁伝、徐晃伝
蜀書先主伝
関連記事:大器晩成とはこのことか!三代にわたって魏に仕えた朱霊の魅力に迫る!
関連記事:朱霊(しゅれい)とはどんな人?曹家に仕えて30年のベテラン将軍!実は魏の隠れ五大将軍だった
関連記事:【意外な事実】袁術は本当に伝国の玉璽を持っていた!