人間無骨とは?鬼武蔵の使った悪魔のような十文字槍




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森可成

 

人間無骨(にんげんむこつ)とは、戦国時代、織田信長(おだのぶなが)に仕えた猛将、森長可(もりながよし)が愛用した槍の名前です。名工と(うた)われた刀鍛冶二代目和泉守兼定(いづみのかみかねさだ)が手掛けた穂先が十文字になった槍で、その名前の由来は槍の表と裏に「人間」「無骨」の文字が刻まれている為だそうです。

 

しかし、人間無骨の凄さは、それを愛用した森長可の武勇伝なしには半減してしまいます。そこで今回は猛将森長可と、彼の愛槍人間無骨の物語を解説しましょう。




人間無骨の由来と性能

本多忠勝

 

十文字槍「人間無骨」は刃の部分が長さ38.5㎝、横幅35.2㎝で、そこから持ち手である(くき)がつきます。この刃は付け根の部分で3つに分れ、真ん中が一番長く、左右サイドの刃は垂直に伸び切っ先がカーブした上鎌十文字槍(あげかまじゅうもんじやり)と呼ばれる形状です。

 

特徴的なこの槍は、突けば槍、払えば薙刀(なぎなた)、引けば鎌という言葉が残っているように3つの性能を持つ優れモノなのです。では、人間無骨の名前の由来はというと、十文字槍の刃が余りに鋭利で、突き刺した人間に骨がないかと思えるほどにスイスイと刃が通るからです。

 

そこは名工二代目和泉守兼定の腕前によるものなのでしょう。




生首が刃を突き抜けて地面に落ちる

 

十文字槍、人間無骨には切れ味に関する恐ろしい逸話が残っています。ある時、持ち主である森長可が敵の首を人間無骨の穂先に差したまま、槍の石突(いしづき)を地面に突き立てた所が、穂先に差した首が刃を突き抜け、そのまま茎を通過して地面に落ちてしまったと言うのです。頭蓋骨すら簡単につき通してしまう人間無骨の槍の切れ味が伝わる話ですね。

 

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初陣と人間無骨

三国志のモブ 反乱

 

十文字槍、人間無骨が森長可と共に戦場に出現したのは、長可15歳の初陣、第3次伊勢長島一向一揆の鎮圧でした。この戦いに織田信長は、10万もの大軍を派遣し、12万の一向一揆に対し、徹底した殲滅(せんめつ)作戦を取ります。

 

3万人の一向一揆の門徒が虐殺されたこの戦いで、初陣の森長可は人間無骨を振り回して27もの首級を挙げて信長に賞賛されました。この時から、小牧長久手の戦いで長可が鉄砲の銃弾に倒れるまでの12年間、人間無骨は無数の人間の血を浴びる事になります。


下半身が敵兵の血で赤く塗れた森長可

仙台城

 

森長可と人間無骨の血も凍るような凄まじい活躍をひとつ紹介しましょう。天正10年(1582年)織田信忠(おだのぶただ)と共に甲州征伐に向かった森長可は順調に武田の兵を蹴散らし、仁科盛信(にしなもりのぶ)の守備する高遠城(たかとおじょう)を攻めます。

 

長可は信忠本隊と合流すると月蔵山(つきくらやま)を上り、本隊とは別行動で高遠城に押し寄せると、高遠城三の丸の屋根に登り板を引き剥がして城内へ鉄砲の一斉射撃を加えさせ陥落、さらにそこから本丸方面の高遠城の守備兵を射撃して多くの敵を打ち倒します。

 

さらに本丸の制圧で長可は自ら人間無骨を奮って戦い、手に傷を負うものの、城兵を突き倒すなど奮闘しました。

軍議(日本史)モブa

 

合戦が終わって帰還した長可の下半身は、敵兵の血で真っ赤に染まって濡れており、総大将の織田信忠はそれを見て、長可が負傷したのではないかと思ったそうです。この戦いで人間無骨は、どれだけの血を吸ったんでしょうね。

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