三国志の武将にとって娘が天子の皇后になるのは、この上ない名誉だが、それはプラス面だけでもないみたいだ。
正史三国志の張緝伝が引く魏略によると、娘を皇后にやってしまう弊害が書かれている。
張緝は、金銭面ではケチな性格で東莞太守として、権勢を奮っていたが娘が皇后になったことで、
慣例により郡太守の任務を解かれてしまった為、自邸において落ち着かない様子であったという。
その後、張緝は呉・蜀の情勢について何度か意見を具申した。
魏では皇后を出すと、その父親は実務を離れる習慣があった事が分かる。
しかし、世の中には、仕事がある事が生き甲斐というような人物もいて、それが張緝のような存在だったのだろう。
張緝は司馬師を排除し、夏侯玄を大将軍にしようとする陰謀を画策したが、それが露見し投獄されて処刑された。