今日のkawauso41「嘘つき曹操ちゃん」

2020年9月28日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし魏の曹操孟徳

 

曹操の子供の頃のあだなは、嘘つき小僧だった。

それから、遥か後年、西暦209年、曹操は自分の半生を振り返り天下に布告を出しているが、やはり所々にウソを混ぜる癖は抜けなかったらしい。

 

以下は魏武故事における曹操の言葉

 

(中略)ところが董卓の難に遭遇したので、正義の兵を起こしたのである。

当時は、多数兵力を集める程能力があると思われていた。

しかし(自分)は常に兵を少なく抑え多くしたいとは思わなかった。

理由は兵数が多くなると、自然に兵が自分は強いと錯覚して無暗に好戦的になり、

強敵と当たった時に、禍になると思ったからだ。

それゆえ汴水(べんすい)の戦いでは数千の兵であり、

後に帰郷して揚州で兵を集めた時もまだ3千に過ぎなかった。

 

内容に納得がいかないkawauso様

 

これはウソで、曹操は無名故に兵が集まらず、揚州で夏侯惇と募兵して

刺史陳温、丹楊太守周昕(しゅうきん)が兵四千余人を集めて曹操に与えても途中で叛かれ、

4000人から500人しか残らなかったと魏略にはある。

サイコパスな発言をする曹操a

 

曹操は兵を少なく抑えたのではなく、少数しか集まらないので、そういう戦い方をするしかなかったんだろう。

それを兵が多いと無暗に好戦的になり危ないからと、もっともらしい理由をつけて誤魔化す

こういうところにサラッとウソを混ぜてくるから、曹操は嘘つき小僧なのである。

 

前回記事:今日のkawauso40「軍事力より大事な法」

 

曹操孟徳

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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