今日のkawauso45「印の持ち方」

2020年10月8日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし劉備の黒歴史

 

三国志の時代は、役人というのは常に印を持っていないといけなかった。

それにも作法というものがあり、印にはつまみがついていて、そこに穴が穿っているのだけど、そこから紐を通している。この紐を綬(じゅ)と言い合わせて印綬。

 

そして、印綬を肘にかけるのが当時の正式な保有の仕方だった。

劉備が黄巾討伐の手柄で安喜県尉になり、督郵にリストラされた時にも杖で二百叩きした後に、安喜県尉の綬を解いて督郵の首にかけて逃げている。

三国志を創作する時には役に立つかなと思って書きました。

 

前回記事:今日のkawauso44「三国時代の鳥居強右衛門」

 

■古代中国の暮らしぶりがよくわかる■

古代中国の暮らし図鑑

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき