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今日のkawauso44「三国時代の鳥居強右衛門」

2020年10月4日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし武田勝頼

 

日本の戦国時代には、徳川家康の臣下で鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)という忠義の士がいて、

長篠の戦いの最中に武田勝頼に捕らえられ、長篠城に籠城する徳川の兵士に「援軍は来ない降伏せよ」と告げれば、

重く用いてやろうと誘いを掛けられるが、これを断り、逆に「援軍は近いぞガンバレ」と叫んで

磔(はりつけ)にされた逸話があるが、正史三国志の三少帝紀(さんしょうていき)にも似たものがある。

諸葛恪

 

諸葛恪が合肥新城(がっぴしんじょう)を包囲していた頃、鄭像(ていしょう)という戦士が

城外の味方と連絡を付ける為、合肥新城を抜け出したが、

諸葛恪にこれを告げたものがあり諸葛恪は騎馬隊を派遣して、柵あたりの足跡を調べさせついに鄭像を捕えた。

4~5人の兵士が、鄭像の首に馬に架けるおもがいを被せて、

「救援軍は全て洛陽に帰還したから早く投降せよ」と言わせようとしたが、鄭像は逆に声を張り上げて

「大軍は間近まで来ている、勇士たちよ勤め励めよ」と叫んだ。

兵士たちは刀を鄭像の口に刀を当てて黙らせようとしたが鄭像は決してひるまなかった。

 

内容に納得がいかないkawauso様

 

これは、鳥居強右衛門の元ネタのようによく似ている。

曹芳は、鄭像を兵卒ではなく部隊長として葬るように指示し関中侯の爵位を与え、子孫たちも兵戸から外し、

関中侯の爵位を継がせるように命じた。でも、鳥居強右衛門よりは有名じゃないな…

 

前回記事:今日のkawauso43「袁紹の玉璽」

 

転職活動に役立つ特集記事三国志と転職

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき