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この記事の目次
病気回復後性格が豹変するカリグラ
西暦37年の10月、カリグラは深刻な病に倒れます。歴史家フィロンによれば、その病気は過度の入浴と飲酒とウヒョ!に溺れたせいでウイルスに感染したのだそうです。若い皇帝の重病にローマは悲嘆にくれて帝国全体が麻痺する状態になったとさえ伝えられていますから、大事件ですね。
幸い、カリグラはこの重病から回復しますが、その後の性格は以前とは大きく変化していました。カリグラの性格がどのように変化したかを箇条書きで上げてみます。
①カリグラの病回復の為に命を捧げると誓った人を呼び出し、崖から突き落として誓いを履行させた。
②妻を追放し、義父のマルクス・シラヌス、従兄弟のティベリウス・ゲメッルスに謀反を企んだとして自殺を強要した。
大昔の事なので、本当かどうかは怪しいですが、自分の回復を祈って命を捧げると誓った人を回復したから誓いの通りに殺すってのはカオスですね。これをやられたら、それだけで、頭どうかしてるで賞を受賞できますよ。
②についても、謀反は事実ではなくカリグラの妄想で、ゲメッルスの口から解毒剤の匂いがしたので、「こいつは俺に殺されると疑ってねーか?」かーらーの!「だから、その前に俺を殺そうとしてんじゃね?」だった可能性があるようです。
普通なかなかここまで妄想は飛躍しないでしょうけど、やはり病気のせいなんでしょうか?
4年間の在位で続々と悪行が!
カリグラの在位は僅か4年に過ぎませんが、並みの皇帝なら何十年かけて行うような大事業や悪行を猛スピードでやり続けました。
その主な内容は以下のようなものです。
①裁判抜きで気まぐれに多くの人を処刑した。
②浪費で国家財政を疲弊させ、訴訟や結婚、売春に税金を課した。
③個人資産を没収するために、庶民に不当な起訴や科料、殺害までも行った。
④建設事業を推進し、港湾施設や水道橋建設のように飢饉を防ぐのに役立った事業もあるが私的な無駄遣いも多い
⑤巨船を建造して台船として浮桟橋を造り壮大な見世物を計画して主演し大金を費やした。
⑥神々の扮装をして出現し聖域や神殿を建設し、自らを神と呼びローマ市民に崇拝を強制した。
⑦妹たちと近親相姦の関係にあり、また妹たちに売春をさせた。
⑧ローマ帝国の版図をマウレタニアまで拡大し、さらにブリタンニア(イギリス南部)遠征まで計画した(未遂)。
このようにカリグラの業績には褒められる点もありますが、己を神格化したり、裁判なしで人を殺すなど狂気の沙汰も多い事が分かります。
カリグラの最後
皇帝として、狂気の振る舞いが多いカリグラでしたが、特にその施政は元老院や貴族、騎士階級に対して過酷でした。その為にカリグラは庶民よりも、これら上流階級の人々に恨まれ、何度か暗殺計画が立てられ失敗に終わっています。
しかし、最終的にカリグラを葬ったのは、皮肉にもカリグラを護衛するプラエトリアニ(近衛軍団)でした。近衛兵のカッシウス・カエレアと3人の将校が、カリグラ暗殺を計画したのです。カエレアは元老院に近く、カリグラを殺して帝政を廃止する考えだったようです。または、カリグラに侮辱的なあだ名で呼ばれ、それを恨んでいたという説もあります。
西暦41年1月24日、神君アウグストゥスに捧げる笑劇や悲劇を上演していた少年俳優団に激励の言葉をかけていたカリグラを、カエレアと数名のプラエトリアニの将校が呼び止めます。そして、動きを止めたカエレアがカリグラを刺し、後に続く数名のプラエトリアニ将校がさらに30回以上も刺しました。
カリグラの身辺警護をしていたゲルマン人兵士が到着した時には、カリグラの息はなく護衛兵は怒りと悲しみで暗殺者とその仲間を打ち殺しただけでは気がすまず、罪のない元老院議員や傍観者まで殺害したそうです。
暗殺者団は、カリグラ暗殺を機に帝政廃止を目論みましたが、帝政が廃されると職を失うプラエトリアニは賛成せず、ローマ市民も皇帝を殺した暗殺者を法に照らして処分せよと叫びました。暗殺者団は苛立ち、腹いせに、カリグラの妻カエソニアと幼い娘ユリア・ドルシッラを探し出して、妻を刺殺、娘は床に叩きつけて撲殺したそうです。
暗殺者団は、結局、カリグラの叔父のクラウディウスを探し出す事が出来ず、プラエトリアニの兵舎に匿われていたクラウディウスは近衛軍を掌握。カリグラ暗殺に関係した人間を逮捕して裁判に掛け、実行犯を残らず殺しました。
世界史ライターkawausoの独り言
カリグラは暴君ですが、庶民には人気がありました。一番大きいのは、飢饉を回避したり、ケチなティベリウスが廃止した剣闘士を復活させるなど、市民のパンとサーカスには最低限、気を配ったからでしょう。5代皇帝のネロも暴君として有名ですが、パンとサーカスは維持した為に市民の人気を繋ぎ留め、死後も献花が絶えなかったそうです。
カリグラも庶民を処刑して財産を奪ったりしたようですが、それは一部であり、市民全体の信頼を損なう程ではなかったのでしょうね。もっとも、いかに市民に人気があろうと、殺されてしまっては何にもなりませんけどね。
参考:Wikipedia
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