広告

今日のkawauso51「地元就職」

2020年10月14日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし朱治

 

朱治は孫権にとっては、自分を推挙してくれた恩人であり、しかも呉郡の名族であり、

至れり尽くせりの厚遇を与えていたが、モノには限度というものがある。

以下は、正史三国志朱治伝より

 

孫権はいつも朱治が国家の為に万全を尽くして働いている事を驚嘆していた。

彼の性格はつつましやかで、富貴な地位にあっても、

車馬や服飾は仕事の上でどう見ても必要なものを用いるだけであった。

孫権は彼に特別待遇を与え、直接に督軍と御史に命じて、朱治の統治する城市の文書は彼らに処理させ、

朱治には4つの県の租税だけを取り扱わせる事にした。

ところが皇族の子弟や呉郡の四姓たちが多数、彼の郡役所に出仕することとなり、

その郡の役人は、いつも数千人という規模になって、朱治が数年に1度、

呉王の役所にご機嫌伺いの使者を出す時には、派遣する数が数百人になった。

 

 

内容に納得がいかないkawauso様

 

呉には、全体で官吏が32000人いたそうだから下手をすると1/10くらいが呉郡に集中していたかも知れない。

呉には、16郡あるので、普通の郡よりは人数が大きい事になる。

いくら、都とはいえ、一郡に関わる役人の数が多すぎないか?

 

また、後漢の頃は、癒着を避ける為に、自分の出身地の郡には派遣されない決まりだったと記憶している。

皇族は兎も角、呉郡の四姓は、呉郡でだけは就職できないはずだが、孫呉ではOKだったのだろうか?

一言でいって、なんかゆるゆるだな…

前回記事:今日のkawauso50「陸遜の偽書の計」

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき