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この記事の目次
三国志演義の華雄
で、その前にちょっと三国志演義の華雄についてもご紹介しましょう。
三国志演義の華雄はなんと身長2mという巨漢であり、董卓軍の猛将として登場します。そして前述したように、上司の胡シンを部下に、そして新しく趙岑という人物まで部下として出てきます。
そんな華雄は汜水関の防衛時に部下である(ここ重要)胡シンこそ討ち取られますが、孫堅配下の祖茂を始めとして袁紹配下の鮑忠、袁術配下の兪渉らなどを討ち取り、最終的に都督にまで上り詰めます。
関羽登場
このような猛将がいる上に、数々の自軍の猛将たちも討ち取られる、その上汜水関は堅牢な場所でどうやって攻め込んでいけば……となる反董卓連合軍に名乗りを上げたのは関羽。
名だたる名将、猛将たちを破った華雄でしたが、関羽に一太刀の下に斬られ、あっさり過ぎるほどの退場をします。このシーン、関羽の驚くほどの武勇がこれでも強調されていると同時に「それはそれで物語としてどうなんだよ……」という何だか黒い感情も沸き上がってくることもあるので、まだ未踏の方はぜひ三国志演義でご確認下さい。
正史の華雄は?
さてそんな関羽の活躍の場面の一つにされてしまう猛将華雄。実は華雄は正史に伝はありません。なんと関羽伝にすらありません。
ならどこにいるかと言うと、呉の孫堅伝にその名前が出てくるという人物です。つまり三国志当時は華雄は下手をすると呉でしかその名前が知られていなかった可能性すらあるのです。なお正史では孫堅伝の敵として登場するので「孫堅さまはめっちゃ強かったよ(とても意訳)」で終わります。
哀れ、華雄……名前だけは華々しくて勇猛そうなのに。
三国志演義の趙岑と華雄
さて三国志演義の趙岑ですが、どうしてそんなキャラクターが出てきたのか?
個人的には趙岑は華雄と言うキャラクターが幾人もの部下を従える猛将、というイメージを付けるためだと思っています。前述したように、華雄は三国志演義の方がより輝いているという存在です。
そういう人物にはより多くの配下がいた方がいい、と思われたのかもしれませんね。ただまあ、追加した割には活躍もなくちょっと退場が雑だなぁ……なんて、思っちゃったりもしますけどね!
三国志ライター センのひとりごと
今回は三国志演義のオリジナルキャラクターである趙岑、そして華雄についても触れてみました。振り返ってみると華雄って名前、なんか凄くカッコイイ感じがしますね。
もしかしてその名前があって、華雄は三国志演義の方では活躍させられたのかな、と思うとあの時代は名前の響きが重要視されていた、とも考えられて、何だかとても面白いと感じました。
参考文献:呉書孫破虜討逆伝 孫堅伝
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