三国志の弓の名手と言えば、呂布、太史慈、演義では黄忠がいるが、
地味な所では後漢の皇族で陳愍王(ちんびんおう)劉寵(りゅうちょう)もそうだ。
この劉寵は弩の名手で、十発射て十発同じ場所に中てる程の腕前であり、
強弩を数千張も所持し、独自の強弩兵を組織した。黄巾賊も劉寵を恐れて支配地の陳国には侵入しなかった。
しかし、袁術が隣国に来たのが運のツキ、食料援助要請を無視したせいで、刺客を放たれ
陳国相の駱俊(らくしゅん)ともども暗殺された。
だが、この弩兵部隊、ほかならぬ、駱俊の子の駱統(らくとう)に受け継がれたっぽい
以下は正史三国志 駱統伝
駱統は地方に出て、建忠中郎将の任につき、弓勢三千の指揮を任された。
凌統が死んだ後は、凌統指揮下の兵士の指揮も任された。
武勇についての記述がない文官タイプの駱統だけど、
父の駱俊が残した書物か何かで、劉寵の強弩の技量を体得でもしたのだろうか?
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