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今日のkawauso53「劉寵譲りの弓の名手」

2020年10月19日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし劉寵と袁術

 

三国志の弓の名手と言えば、呂布太史慈、演義では黄忠がいるが、

地味な所では後漢の皇族で陳愍(ちんびんおう)劉寵(りゅうちょう)もそうだ。

 

この劉寵は弩の名手で、十発射て十発同じ場所に中てる程の腕前であり、

強弩を数千張も所持し、独自の強弩兵を組織した。黄巾賊も劉寵を恐れて支配地の陳国には侵入しなかった。

 

しかし、袁術が隣国に来たのが運のツキ、食料援助要請を無視したせいで、刺客を放たれ

陳国相の駱俊(らくしゅん)ともども暗殺された。

だが、この弩兵部隊、ほかならぬ、駱俊の子の駱統(らくとう)に受け継がれたっぽい

 

以下は正史三国志 駱統伝

 

駱統は地方に出て、建忠中郎将の任につき、弓勢三千の指揮を任された。

凌統が死んだ後は、凌統指揮下の兵士の指揮も任された。

弩(ど)を発射させる蜀兵士達

 

武勇についての記述がない文官タイプの駱統だけど、

父の駱俊が残した書物か何かで、劉寵の強弩の技量を体得でもしたのだろうか?

 

前回記事:今日のkawauso52「呉のリスク」

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき