都市統計の中に、都市緑地面積というものがあります。これは、都市の中にどの程度の緑があるかという統計なのですが、その1位は北海道、2位は兵庫県、そして3位は意外にも東京都がランクインしています。
一方で、大阪府は2014年の統計によると9位で、1990年度の5位に比較して緑地は増えているにも関わらず順位は下がっています。どうして、大阪府には緑が少ないのか?
そこには深い理由が存在したのです。
東京都に緑が多いのは幕府が開かれたから
大阪に緑が少ない理由を解明する前に、逆に大都会東京はどうして緑が多いのでしょうか?
その理由はとても簡単で徳川家康が、ここに幕府を開いたからです。家康は、江戸に全国300諸藩の大名の人質を置くためと、幕府を守る御三家や旗本の邸宅を築くために、江戸城を取り囲む形で巨大な城下町を整備しました。
やがて、明治維新が起きて、幕藩体制が終結すると、旗本屋敷と大名屋敷は不用になり、かなりの部分が売却されますが、それらの一部は維持が困難になった旧大名家や財閥から、都に管轄権が移動し、広大な緑地として都民の憩いの場になったのです。
広大な土地を自由にできる権力者が不在なら、バカみたいに大きな土地を維持する事など出来ません。東京都は、そこに徳川幕府という巨大な権力者を得たからこそ、今でも都道府県3位という緑地が多い都市になっているのです。
大阪は庶民の町ゆえに緑が少なかった
もちろん、大阪にも大阪城や中之島公園、谷町筋のお寺には一定の緑地があり、市民レベルでは、草花を愛する人も多いですが、やはり大規模な緑地は東京都と比較しても桁違いに少なくなっています。
2014年都市緑地面積で見ても、
東京都緑地 1197.17ha
大阪府緑地 496.69ha
このように緑地の面積では、大阪と東京では文字通り桁違いの差があります。それは、どうしてかと言えば、大阪は古くから庶民の街であり、徳川家康のような絶対権力者が長期間君臨できなかったからです。
東京都と大阪府の緑地比較
庶民は、いかに大金持ちであっても税金を支払う側であり、例え大きな邸宅や庭園を構えても、何代か後には家が傾いて、土地も屋敷も切り売りしていき細分化していきます。ましてや、貧しい庶民となれば、土地などは無縁な存在で貸家住まいで一生を終える事も珍しくありません。
こうして、庶民が集まる都市は狭い土地がさらに分割されてマッチ箱のようになり、土地も利権が入り組んで、大災害でも起きない限り、土地の再開発も難しくなります。当然、大きな緑地など望むべくもないのです。
東洋のベニス 堺の夢の跡
大阪府の南に位置する堺は、大坂市に次いで人口増加率が高い地域であり、室町から戦国後期にかけキリスト教宣教師に、「東洋のベニス」と謳われた商人が自治する環濠都市がありました。織田信長や豊臣秀吉のような戦国大名と強かに対峙した堺ですが、今日では、その往時の姿をしのぶ遺跡はほとんどありません。
その大きな理由は堺市空襲により旧市街地が大きな被害を受けたためとの事ですが、1973年に紀行文集「街道をゆく」の取材で堺を訪れた司馬遼太郎も「現在の堺を見ても中世に輝きを放った自由都市を思い描くことができない」と記しています。
また、1978年のNHK大河ドラマ「黄金の日々」では、戦国時代の堺の貿易商、呂宋助左衛門に人気が出て、助左衛門ゆかりの南宋寺や大安寺を中心に観光客が押し寄せましたが、堺市には、観光のメインとなるような戦国時代の遺跡も乏しく、案内板と石碑めぐりが中心であるために、繰り返し観光地を訪れるリピーターには結びつきませんでした。
例えば、豊臣秀吉に盾突いて処刑された剛毅な茶人、文化人として知られる千利休についても、玄関と屋敷跡の敷地と石灯籠、それに古井戸が残るのみで、周辺はビルに囲まれています。
黄金の日々がヒットした頃、堺市民には、同市が観光都市であるという認識が薄かったそうで、つまり生活に追われ、市の歴史文化財には関心が薄かったかも知れません。
【次のページに続きます】