三国志演義ではかなり長めに描かれている諸葛亮の南蛮平定。そこに出てくる南蛮王・孟獲とその仲間たち。色々とツッコミどころは多数ありますが、面白い場面の数々でもありますよね。
そしてこの七縱七禽で有名な孟獲、実は実在した人物であり、蜀の御史中丞に出世した人物でもあります。今回はそんな孟獲について色々とお話いたしましょう。
この記事の目次
実在した南蛮王ではない孟獲
さて前述したように、孟獲という人物は実在した人物です。
雲南省の人で異民族たちの信用が熱い人物だったことから、異民族の血が入っていたとも言われていますが、三国志演義でのように「南蛮王」と呼ばれるような高位の人物ではなかったようです。イメージとしては地方の人々のまとめ役、といったところでしょうか。
雍闓の反乱に乗る
後漢末期から、南中の土地は益州刺史が兼ねていました。しかし夷陵の戦いでの大敗、流れるように劉備の崩御によって蜀の地は混乱。
この際に反乱を起こしたのが雍闓です。雍闓は呉に通じて高定や朱褒らと反乱を起こしたのですが、実際にはそこまで簡単ではなく、すぐにみんなが雍ガイに同調した訳ではありません。そこに出てくるのが孟獲です。
クレバーキャラ孟獲
「蜀の役人はタク木の材木三丈のものを三千枚差し出せと言っているぞ」
こんな流言を流したのが孟獲、もしくは孟獲に言われて雍ガイが流した(あるいは雍ガイが流した)とも言われています。ちょっと意味が分かりにくいですが、タク木は曲がりながら伸びる木で、長さは二丈にもならず、材木にもならない木のことです。
転じて「無理難題を押し付けている」ということになります。このために蜀から離反しようという人たちが増えて雍ガイの下に集いました。
勝ちのなさを悟る孟獲
後に雍闓は内輪もめで殺害され、高定によって君主にされた孟獲が諸葛亮と戦うことに。諸葛亮は捕らえた孟獲に自軍を見せ「我が軍をどう思うか」と尋ねました。
これを見た孟獲は「「知らなかったのが残念です、貴方の勝利は簡単なことでしょう」と陣を見ただけで判断したといいます。
これから孟獲が信頼できる有能な人物と悟ったのか、諸葛亮は孟獲を釈放。再戦、捕縛、釈放を繰り返して高定らはぬかりなく処刑。その後、孟獲の降伏を受け入れ反乱は終わりました。このエピソードから七縱七禽が生まれたのだと思われます。
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