雑賀孫一は、紀伊の雑賀衆に所属する雑賀党鈴木氏の棟梁か実力者で、戦国の最新兵器、鉄砲を巧みに扱う傭兵として織田信長を散々に苦しめた事で有名です。
雑賀孫一の人気の秘密は、生涯の大半を天下人織田信長に逆らって過ごしたロックな人柄にあるのですが、実は孫一は経歴不詳の謎の人物であり、実は複数いたのでは?と考えられているミステリアスな存在でした。
この記事の目次
ビックリ!実は候補が3人いる雑賀孫一
最初から驚いてしまいますが、雑賀孫一とは1人ではなく複数いたそうです。戦国期から江戸時代にかけての文献には、紀州雑賀衆の孫一の記述があちこちにあるのですが、その経歴は同一人物とは思えないほどバラバラです。
①石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺に入り、織田信長の軍勢を苦しめ、石山合戦で討ち死にした。
②豊臣秀吉の雑賀攻めの時、藤堂高虎に謀殺された。
③小田原征伐で鉄砲頭として戦い生涯を終えた。
④関ケ原の戦いで石田方について戦後水戸藩に仕官した
いくら何でも討ち死にが多すぎる上に、コロコロ主君が変わりすぎです。これが1人の人物だとすると瀕死の重傷を負っては甦るランボーみたいな人になり、超人が多い戦国時代でも、さすがに現実味がありません。
そこで、戦国時代の紀州雑賀衆には、代々「孫一」を名乗る家があり、別々の孫一が記録に残されているのではないかと推測されています。ちなみに、雑賀孫一ではないかと考えられている人物は3名います。
①石山合戦の侍大将で、信長公記や本願寺文書に記載がある鈴木重秀。
②豊臣秀吉に仕えて小田原征伐や伏見城の戦いで活躍した鈴木重朝。
③小牧長久手の戦いで織田信雄・徳川家康側に立ち秀吉を牽制した雑賀の指導者平井孫一郎義兼。
しかし、行動がバラバラなこの3名を一緒くたに扱うと混乱するので、今回は織田信長に盾突いたロックな雑賀孫一の行動に絞り解説します。
雑賀孫一の経歴
雑賀孫一と考えられる人物は3名いますが、一応、伝えられている雑賀孫一の履歴について紹介します。
本姓は鈴木孫市、雑賀荘鈴木左太夫の3男である。
孫市は、海士郡北山の麓、平井村を領す。父の左太夫は天正年間に藤堂高虎の為に那賀郡粉河城にて自殺した。
雑賀孫市は羽柴家が衰えて後、徳川家康に仕え、少々の武勲ありて御家人となり子孫は代々続き
水戸藩に仕え三千石を受ける。
出典:ますをのすすき 海士郡(2)
うーん確かに、孫一らしいと言えばらしいですが、小説や映画、ゲームで活躍する華々しい鉄砲傭兵のイメージは少しもありません。
このシンプルな経歴では、とてもドラマや映画の主人公には出来ないので、創作者は、色々な雑賀孫一説を組み合わせてキャラクターを造っていくのでしょうね。
織田方の鉄砲傭兵だった孫一
さて、雑賀孫一というと最初から織田信長に敵対していたイメージがありますが、実はそうではありませんでした。孫一の生まれた雑賀荘は、砂地が多く農業に適さないので、雑賀川と紀ノ川を利用し水運交易で生活を立てていました。
そして、早い時期に鉄砲が伝来した事で鍛冶が進歩、5000挺もの鉄砲を駆使し鉄砲傭兵として各地の戦場に出て行く、欧州のスウェーデン傭兵のような事をして金を稼いでいます。
雑賀には、鉄砲だけでなく水運もある事から水軍も強く、木津川の戦いでは本願寺勢力と結んだ毛利氏に加勢して、織田方の九鬼水軍を一度は撃滅しています。そんな経緯で、雑賀孫一は織田信長に金で雇われ、最初は永禄12年(1569年)三好三人衆を阿波に追い出す時に鉄砲傭兵として活躍しました。
しかし、これは臨時の雇用契約であり、孫一は個人的に織田信長に好意もなく契約が切れると出て行き、元亀元年(1570年)には逆に三好三人衆に雇われ、野田・福島城の戦いに従軍しているのです。
雑賀孫一の配下
雑賀孫一には、第三次紀州攻めの記述によると、複数の部下がいたようです。ここでは、孫一の部下について簡単に紹介しましょう。
的場源四郎:万夫不当の勇士で正直一徹の男。
本願寺顕如に従って勇をふるい、第三次紀州攻めでは鷺森に移った顕如を守った。戦いの途中、本能寺の変が勃発した情報を掴み、織田信長が明智光秀に討たれた事実を織田軍に告げ退却させたと伝わる。
雑賀孫六:雑賀衆の頭目鈴木孫一の弟とされ、兄孫一と共に雑賀衆を率いた。
天正13年(1585年)の豊臣秀吉の紀州侵攻のさいに、本願寺顕如の勧めで降伏したとされる。
坂井与四郎:雑賀の弁慶と称された勇者。織田信孝による第三次紀州攻めの際に、三井遊雲軒等と共に抗戦。
危機的な状況に追い詰められるが本能寺の変勃発で危機を逃れた。
他にも、関掃部守の名前も見られますが、経歴などは不明です。
雑賀衆の戦い方
雑賀衆、雑賀孫一の鉄砲の活用方法とは、どんなものだったのでしょう?
有力な雑賀衆の1人だった佐武伊賀守の働き書きによると、雑賀では、鉄砲は鉄砲を撃つ専任のスナイパーが連続で撃ち、その周辺には玉薬を詰めたり、火薬を用意する手伝いの人員を配置して、次々に新しい鉄砲を渡して連続発砲を可能にしていたようです。
確かに、全ての兵士が名狙撃手ではありませんから、狙撃力が高い兵士に鉄砲を集中して与え、連続で射撃させた方が戦果も上がると考えられます。これが事実なら狙われた方は、間髪入れずに連続で鉄砲玉が飛んでくる事になり、生きた心地はしなかったでしょうね。
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