【ちょい引く】武田信玄の遺言は前半、果てしない自慢話だった!

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信玄の遺言は自慢話(1P目)




信玄はどうして自慢話をしたのか?

武田信玄死去

 

前半だけ聞くと、鼻もちならない信玄の武勇自慢ですが後半を聞くと、その理由が少し分かります。

 

自らの死を秘密にした武田信玄

 

後半の遺言で信玄は、勝頼(かつより)を後継者にする事や、孫の信勝(のぶかつ)が16歳になったら、勝頼が家督を譲る事、長尾輝虎を頼みとし、自分の死を三年の間隠す事。織田や徳川に攻め込まれたら甲斐に引き込んで撃退するなど、細かい指示を出しています。

 

その中で信玄は、ここまで強い自分がどうして、途中で病に倒れたのか?を自分の実力不足ではなく、家康や信長が戦の幸運に恵まれたツキのある連中だったから敗れたのだと、楚漢戦争の時の項羽のような弁明をするのです。

 

武田信玄

 

つまり、私は強かったが、これは天が信玄を滅ぼすのだから仕方がないのだと家臣と自分を納得させると同時に、信長や家康も今は勢いがあっても、やがては衰微(すいび)する時が来るから、後継者である勝頼には、打って出ないで長尾輝虎を後見に頼み、ひたすら領国を守る事に集中し、輝虎が死に、信長、家康の天運が衰えるのを待てとアドバイスしたのです。

 

その後半の悲痛さを考えると、前半で信玄が自分を持ち上げ続けたのも、ある意味仕方がない事なのかなと思えてきます。

 

武田勝頼

 

どこまでも守勢に徹し、打って出るなと勝頼に命じた時、信玄は、恐らく勝頼では武田家は持たないと、どこかで諦観(ていかん)していたのではないでしょうか?




戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

甲斐の虎、武田信玄の遺言の前半、いかがだったでしょうか?

 

kawausoは、信玄と言えば、自制の人で、あまり武勇を誇るというイメージがなかったので、とても意外に感じました。でも、考えてみれば、そむきやすい国衆を抱えて病気になるほどの気苦労をしたんですから、死ぬ寸前くらい、目一杯自慢話がしたい気持ちも分かる気がします。

 

参考:Wikipedia他

 

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