上杉謙信女性説はどうやって生まれたのか?根拠や不思議な噂の真相




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リトルグレイ(宇宙人)と遭遇して興奮する曹操

 

人間は、新発見とか大発見、新説!みたいな煽り文句に弱いものです。特に、世間はダマされているが真相はこうです!みたいな都市伝説が大好きという人も多く、だからこそ、都市伝説系の動画は数が増えていくのです。

 

上杉謙信(女性版)

 

今回は、そんな中から、上杉謙信(うえすぎけんしん)は女だったという都市伝説を検証してみます。




越後の龍 上杉謙信とは?

上杉謙信

 

上杉謙信は、越後(えちご)、現在の新潟県に生まれた戦国大名で、合戦においては70戦、43勝、2敗、25分という驚異的な勝率を誇り、武田信玄、上杉謙信、織田信長のような強豪大名と五分五分以上の勝負をし、越後の軍神とも呼ばれました。

 

上杉謙信が信仰した毘沙門天(神話)

 

一方で深く毘沙門天(びしゃもんてん)信仰に帰依した謙信は、不義の戦を許さず、利益よりも道義を優先して戦い、その因縁から武田信玄とは五回に渡る川中島の戦いを経験しています。

武田信玄-vs-上杉謙信

 

道義を追求した為に、個人的には何の得にもならない、しなくてよい苦労をし天下を取り逃がしたとさえ言われる謙信ですが、一本気で純粋な性格には、同時代の敵の戦国大名からでさえ尊敬を集め、魅了される戦国ファンも多いようです。

 

そんな男くさい謙信が、実は女性だった!と言われれば誰だって驚きますよね?




突如出現した上杉謙信女性説

水滸伝って何? 書類や本

 

上杉謙信が女性だったという説は、大昔から存在していたわけではなく、昭和43年の読売新聞夕刊で連載を開始した、八切止夫(やぎりとめお)の「上杉謙信は男か女か」から始まりました。

 

つまり、上杉謙信女性説は、誕生してから52年しか経過していない歴史としては新しい説なのです。

 

その最初の始まりはwikipediaによるとこんな感じです。

 

歴史小説家である八切止夫は、スペイン内戦時には城砦(じょうさい)として使用されていたトレドの修道院から15世紀から16世紀の舟乗りや宣教師による日本についての報告書を発見する。その中には、ゴンザレスという船乗りが国王に提出した1571年から1580年にかけての佐渡金山に関する報告書があった。

 

報告書の中の黄金情報という閉じ込みには、

「アイドのウエスゲはそのTIA(ティア)の開発したサドの純金を沢山もっている」

意訳:会津の上杉はその叔母(tia(ティア))が佐渡を開発して得た黄金をたくさん持っている

 

上杉景勝の母である仙桃院(せんとういん)の兄弟は弟の上杉謙信しかいないので、八切止夫は、叔母とは謙信の事であると考え、上杉謙信女性説を唱えた。

 

…序盤からして、こんな感じなのですが、個人的に言わせてもらうと、その文書が本当に存在するなら、ゴンザレスという船乗りが、叔父と叔母を書き間違えただけじゃないですかね?

 

だってスペイン語では、叔父はTío(ティオ)で叔母がtía(ティア)ですから、書き間違い、或いは読み間違いはあり得そうですけど…もちろん、八切止夫は、これだけでは根拠が弱いと考えて、さらに上杉謙信女性説を補強するような証拠を出していきます。

 

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上杉謙信女性説の根拠

 

読売新聞の夕刊連載、「上杉謙信は男か女か」で八切止夫が挙げた、上杉謙信女性説の証拠には以下のようなものがあります。

 

①越後の民謡、瞽女唄(ごぜうた)に上杉謙信を男も及ばぬ怪力無双と歌ったものがある。

②上杉謙信の死因が大虫(おおむし)と記録されるが大虫は婦人病の事である。

 

それ以外にも、上杉謙信の女性説には、

 

③毎月10日前後に生理痛らしき腹痛を起こし、陣を引き払い部屋に籠っていた

④手紙の文字が女性的で、読書も源氏物語や伊勢物語を好んで読んだ

⑤信長に源氏物語絵巻の屏風を贈ったが、屏風は普通男性が女性に送るモノ

⑥正室も側室も置かず生涯独身を貫いた

 

等々があります。

では、次では、これら6つの上杉謙信女性説をバッサリ切ってみせましょう。

 

上杉謙信女性説を切る!①

 

では、①の越後の民謡、瞽女唄に上杉謙信を男も及ばぬ怪力無双と歌ったものがあるから、検証してみましょう。

 

こちらの瞽女唄の歌詞は、「寅の日に 生まれたまいし 政虎(まんとら)さまは 男も及ばぬ大力無双(たいりきむそう)」と唄われたと八切止夫は書いていますが、現在、その瞽女唄は確認されていません。

 

また、瞽女とは盲目の女性たちで三味線を弾いて家々を回り、報酬を受けて生計を立てている芸能者ですが、もし、この瞽女唄が、400年前から歌われ続けているなら、上杉謙信は女性という説は、もっと早い段階から、少なくとも越後では流布されていた筈で、八切止夫が紹介するまで知られていないというのは、妙な話だと思います。

 

上杉謙信女性説を切る!②

亡くなる上杉謙信

 

上杉謙信の死因が大虫、つまり、当時の言葉で生理、転じて婦人病であるとの事ですが、そもそも更年期障害が原因で人が死ぬという事はまずありません。

 

また、養子である上杉景勝は、養父の死因について不慮の虫気と書いていますが、これは寄生虫の事を意味しているそうです。当時は衛生面が未発達なので、寄生虫がお腹にいる事は珍しくなく、謙信も度々、腹痛を起こしており、虫気が悪化して死んだのだと当時は考えられていたのでしょう。

 

それに戦国時代当時は、生理の事をおむしと言ったそうで、これはお蒸すから来ているそうですが、八切止夫は、これを大虫に無理やり当てはめただけとも考えられます。

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