浣腸はとても重要な救命器具だった!【ゆるい都市伝説】

2020年10月27日


 

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医者の顔もあるコナン・ドイル

 

皆さんは浣腸(かんちょう)について、どのようにお考えでしょうか?

 

現在、浣腸は便秘の治療に多く使われ、「俺浣腸好きなんだ」とでも言おうものなら

「何それ?変なプレイにハマっているの?」と白い目で見られかねない始末です。しかし、今から100年ほど前まで浣腸は人の生命を繋ぐ、とても大事な医療器具でした。

 

今回のゆるい都市伝説は、思わず浣腸に謝りたくなる意外な事実を紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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滋養浣腸の誕生

 

浣腸は当初便秘の治療ではなく、栄養補給の手段として発明されました。人間は口からだけではなく、肛門を経て大腸からも栄養分を摂取できるからです。

 

その為、浣腸は口から栄養を摂取するのが難しい人々や、統合失調症を患う拒食症の患者に食事を摂らせる為に1880年頃からフランスの精神病院で使用が始まりました。ちなみに、この方法は21世紀の現在でもあり医学用語で「滋養浣腸(じようかんちょう)」と言います。

 



肉エキスの発明

 

しかし、大腸には、口と違い食べ物をすり潰す能力はないので、浣腸には液体の栄養剤を入れなければ意味がありません。この液体の栄養剤は1865年ドイツの天才科学者、ユストゥス・フォン・リービッヒにより、肉エキスとして発明されます。

 

リービッヒは、肉のエキスを、経口(けいこう)の滋養強壮ドリンクとしたのですが、やがて、肉エキスを浣腸に入れれば滋養浣腸になると考えた人々が出現。ドイツでは多くの病院で肉エキスを浣腸につめて、滋養浣腸が行われました。ちなみにフランスでは浣腸にブドウ糖液が詰められたそうですよ。

 

ただ、大腸はそんなに素早く浣腸液を吸収できないので、浣腸液が漏れないように、肛門に栓をする必要がありました。この直腸拡張器(ちょくちょうかくちょうき)はアメリカのヤング博士により発明されました。直腸拡張器には英語の固有名詞がありますが、youtube規約に引っ掛かりそうなので、興味のある方はご自身で調べて下さい。

 

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点滴は存在しないの?

 

現在から見ると、え?それって点滴でよくない?と思うかも知れませんが、実は点滴療法の効果が実証されたのは、1920年代と今から100年前の事に過ぎないのです。

 

やがて、滋養浣腸は手間が大変な割に、あまり栄養を摂取できない事が明らかになり、次第に点滴療法に取って代わられる事になりますが、それ以前には、口から栄養を摂取出来ない人間に、栄養補給が出来るのは、滋養浣腸しかなかったのです。

 

そう考えると、沢山の人々を栄養失調から救った滋養浣腸に感謝したくなりませんか?

 

アメリカ大統領と滋養浣腸

 

思わず笑ってしまう滋養浣腸ですが、歴史上の有名人もしっかりお世話になっています。例えば、アメリカ合衆国25代大統領、ウィリアム・マッキンリーは1901年、9月5日、パン・アメリカン博覧会に出席中、レオン・フランク・チョルゴッシュから2発の銃弾を浴び、その1発が胃、膵臓(すいぞう)および腎臓(じんぞう)を貫通、最終的に銃弾が、背中の筋肉に入り込む重症を負います。

 

担当医師は、肩の銃弾を摘出しますが、背中に入り込んだ1発が発見出来ませんでした。担当医は、銃弾を摘出する事が、大統領の傷を深くする事を危惧、無理に摘出手術をせずに、容態を見ると決め、マッキンリーは回復を待つために博覧会会長の自宅で8日間静養します。

 

9月12日の朝、容態が回復したかに見えた大統領は、事件後初めて、トーストと少しのコーヒーを飲みますが、その日の午後、容体が急変し、傷の周辺に出来た壊疽(えそ)による感染症で死去しました。

 

大統領が食事を摂れない8日間、その命を繋いだのは滋養浣腸だったのです。

 

夏目漱石夫妻も滋養浣腸のお世話に

 

また吾輩(わがはい)は猫であるで有名な夏目漱石(なつめそうせき)も直接の死因は胃潰瘍であったそうで、死ぬ間際は、滋養浣腸のお世話になっています。そればかりか、明治から大正期は、滋養浣腸は日本でもポピュラーであり、漱石夫人の鏡子(きょうこ)も妊娠中、酷い悪阻(つわり)に悩まされ、滋養浣腸の世話になっていたそうです。

 

その時の様子を漱石は「漱石の思い出」の中で次のように述べています。

 

「猛烈な悪阻に悩まされ続けました。それは9月から始まって11月まで続き、一番ひどかった時などには、食べ物や薬はおろか、水さえのどに通らなかった位で、衰弱は日増しに加わりますし、かといって今更手術も出来ず、運を天に任せてといった工合に、しばらく滋養浣腸ぐらいで命を繋いでいたわけでした」

 

夏目漱石の滋養浣腸は、肉エキスやブドウ糖ではなく卵と牛乳で造ったそうです。あまり、明治・大正のドラマでお目に掛かりませんが、滋養浣腸はちゃんと存在していたのです。

 

調理に手間がかかる滋養浣腸液

 

しかし、滋養浣腸液の調理法は簡単ではありませんでした。大腸は、小腸よりもずっと栄養吸収効率が悪く、消化を省略しタンパク質をアミノ酸レベルまで分解しないと吸収できないからです。

 

具体的な調理法は、高圧鍋に水で半分に薄めた濃塩酸(のうえんさん)を入れ、肉や野菜を浸して110℃で24時間煮込み、煮込み終わってドロドロになったら減圧して蒸留し濃塩酸を取り除きます。

 

こうして出来たものをタンパク加水分解物と言い、コクやうまみをもたらす目的で、しょうゆなどの普通の加工食品に入っていますし、もちろん食べられます。

 

ただ、ここまで手間暇をかける割に滋養浣腸液の効果は薄く、点滴に劣ります。そういう事があり、点滴が一般化すると滋養浣腸は姿を消していったのです。

 

まとめ

 

滋養浣腸は、ほとんど使われない割に現在でも存在し医療点数45点です。つまり、あなたが経口摂食が出来ない病気の時に「すいませんが、点滴ではなく滋養浣腸で」とお願いすれば、あるいは滋養浣腸をしてくれるかも知れません。

 

今から100年前に、多くの摂食不良の人々の命を繋いだ滋養浣腸を体験してみたい人は、お願いしてみてはいかがでしょうか?

ええ、私は丁重(ていちょう)にお断りしたく存じまする

 

参考文献:アリエナイ医学事典 三才ブックス

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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