こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
ヨメと義兄弟ではどっちが上?
実は、古代の中国ではヨメの地位は義兄弟よりも低いものでした。強力な男尊女卑があった三国志の時代では女性の地位は低く、女性の名前は身分が高くとも、一部を除いてほとんど伝わらない程です。
また、女性は結婚して子供を産んでも、完全にその家の人間になれず、死んだらその遺骨は実家に戻され実家の墓に入り、夫の墓には入れませんでした。当時の女性は子供を産み、家事をする事だけを期待されていたわけです。
実際、劉備も戦場のどさくさで、何度も妻子を置き去りにして逃げていますが、その事で劉備の評判が下がった事はありません。妻子を捨てて逃げる事は、劉備の聖人君子像に傷をつけるものではないのです。
このような事情を考えると、孔明は俺のヨメと紹介した劉備に対し、関羽と張飛は(なんだ孔明はヨメか、なら兄弟である俺達が上だな)と納得して不満を言わなくなった可能性も考えられますね。
関連記事:劉備が見捨ててきた人々特集
関連記事:劉備は劉安という人物の妻を食べたの?食人文化と明清時代の風習
『新解釈・三國志』の見どころ
『新解釈・三國志』は、大泉洋の劉備とムロツヨシの諸葛亮の名コンビの掛け合いが楽しみです。歴史上の劉備と諸葛亮に勝るとも劣らない息の合った2人の演技に期待しましょう。
関連記事:「水魚の交わり」劉備と諸葛亮の関係を分かりやすく紹介
関連記事:孔明は劉備の嫁?「水魚の交わり」にはけっこう深い意味があった!