戦国の城はどの程度で完成したの?戦国時代の素朴な疑問


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戦国の城はどの程度で完成(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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建材調達は様々

宋銭 お金と紙幣

 

築城の為の材料の調達も、知行役や公事役を賦課された者の役割でした。材木としては、杉や栗、(ひのき)、竹などがありましたが、特に竹が汎用性(はんようせい)の高さからよく使用されました。

 

木材は購入したり、自前の山で切り倒したり、または、敵城から奪い取る事もよくありました。特に付城などは、敵との前線に造る城なので、敵の城から建材を剥ぎ取って築城する事が多かったようです。

 

鉄甲船

 

特殊なケースでは毛利元就(もうりもとなり)が、永禄12年(1569年)小倉城(こくらじょう)を築城するにあたり、難破して長門一宮、住吉宮の領地に流れ着いた寄船を搔楯板(かいだていた)の材料としてリサイクルした事が記録されています。

 

これなどは、神様が建材として寄船を寄こして下さったと考えたのかも知れませんね。

 

各地の戦国大名は、建材としての木材には長期的な視野で取り組み、木材伐採用の山「立山」や各地の土豪が持つ山を「公方藪(くぼうやぶ)」として管理させて複数確保し、いつでも建材が調達できるように日頃から気を配っていました。

 

例えば、伊豆の狩野山(かのうやま)は、後北条氏の立山だったそうです。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は戦国時代の城の築城期間と、その後のメンテナンス等について解説してみました。戦国の城は、山城に関してのデータではありますが、完成するのに11ヶ月と思ったよりも、築城速度が速い事に驚いたのではないでしょうか?

 

また、兵士の常駐に関しては、鍬立から2カ月くらいでは開始されるなど、こちらもスピード重視である事が分かりました。築城については、専門の築城のプロも存在したようで、今後は、それら陰の主役についても焦点を当てていこうと思います。

 

参考文献:戦国の城の一生 つくる・壊す・蘇る 吉川弘文館

 

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武田信玄

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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