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建材調達は様々
築城の為の材料の調達も、知行役や公事役を賦課された者の役割でした。材木としては、杉や栗、桧、竹などがありましたが、特に竹が汎用性の高さからよく使用されました。
木材は購入したり、自前の山で切り倒したり、または、敵城から奪い取る事もよくありました。特に付城などは、敵との前線に造る城なので、敵の城から建材を剥ぎ取って築城する事が多かったようです。
特殊なケースでは毛利元就が、永禄12年(1569年)小倉城を築城するにあたり、難破して長門一宮、住吉宮の領地に流れ着いた寄船を搔楯板の材料としてリサイクルした事が記録されています。
これなどは、神様が建材として寄船を寄こして下さったと考えたのかも知れませんね。
各地の戦国大名は、建材としての木材には長期的な視野で取り組み、木材伐採用の山「立山」や各地の土豪が持つ山を「公方藪」として管理させて複数確保し、いつでも建材が調達できるように日頃から気を配っていました。
例えば、伊豆の狩野山は、後北条氏の立山だったそうです。
戦国時代ライターkawausoの独り言
今回は戦国時代の城の築城期間と、その後のメンテナンス等について解説してみました。戦国の城は、山城に関してのデータではありますが、完成するのに11ヶ月と思ったよりも、築城速度が速い事に驚いたのではないでしょうか?
また、兵士の常駐に関しては、鍬立から2カ月くらいでは開始されるなど、こちらもスピード重視である事が分かりました。築城については、専門の築城のプロも存在したようで、今後は、それら陰の主役についても焦点を当てていこうと思います。
参考文献:戦国の城の一生 つくる・壊す・蘇る 吉川弘文館
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