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合戦後
こうして合戦に勝利すると、軍配者には戦死者の慰霊の仕事が残っていました。最初に作法に乗っ取り勝鬨を上げ、その後、首実検をしてから首に化粧を施し細かい作法にのっとり供養をします。これも、戦死者の怨霊を恐れる兵士たちの動揺を鎮め、心置きなく次の戦いに臨めるようにしていたのです。
軍配者が廃れた理由
しかし、軍配者の活躍の場は次第に合戦から消えていきます。その大きな理由は、戦国時代中期以降、物流の発展と戦国大名の大規模化により動員できる兵力が万単位になったからです。
兵力が数百や千程度なら、軍配者の縁起担ぎやマインドコントロールも効果がありますが、万単位になると、それも不可能になり兵力の迅速かつ安全な運用の方が重要になりました。
つまり、縁起担ぎのマインドコントロールよりも、大軍を出来るだけ迅速に合戦場に引っ張ってくる方が重要になったのです。こうして、メンタリスト軍配者はタクティクスやロジスティックスを重視する軍師へと存在が移行して行ったのです。
戦国時代ライターkawausoの独り言
今回は軍配者から軍師への移行の原因と、軍配者の仕事について解説してみました。
元々はメンタリストだった軍配者が、戦国時代後期には軍勢の大規模化により限界を迎え、タクティクスやロジスティックスを重視する軍師へと移行していったんですね。
参考文献:戦国時代を読み解く新視点 歴史街道編集部編 PHP文庫
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