新解釈・三國志の疑問点!曹操は何で悪役なの?




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新解釈・三國志 ネバギバと煽る孔明

 

12月11日に公開された『新解釈・三國志(しんかいしゃく・さんごくし)』皆さんはもう御覧になりましたか?

 

悪役の曹操、正義の味方の劉備

 

三国志をご存知の方は、すんなり世界観に入り込めたと思いますが、三国志初心者は、頼れる兄貴っぽいキャラの曹操(そうそう)が、どうして悪者になっているのか?なかなか理解できないのではないでしょうか?

 

そこで今回のはじ三では、どうして曹操が悪役になっているのかを解説します。




曹操が悪役なのはズバリ!

承諾する曹操

 

三国志演義において、曹操が悪役なのは、劉備(りゅうび)と対照的な身分と家柄であるという点。さらに弱小な劉備に比べて圧倒的に強いという点。

 

酒を飲む曹操と劉備

 

そして、三国志の時代の価値観では悪とされる事を平然とドンドン行ったためです。

 

孔融を処刑する曹操

 

弱い主人公に対し、圧倒的な力と当時の常識をブチ破る非常識なライバル。曹操と劉備には、この図式がカッチリと当てはまるので曹操は悪役に選ばれました。




曹操悪役の理由1:キャラのメリハリ

土いじりをする劉備

 

三国志演義の前半の主人公は劉備ですが、彼は漢王室のプリンスの血を引く末裔です。しかし現在では家は没落し、母一人子一人でムシロを編んで(くつ)を売るという貧しい生活をしています。

 

曹操

 

逆に曹操は、大金持ちのボンボンの子供として誕生しました。

1度もミスをしなかった有能な宦官・曹騰

 

ところが、曹操の祖父は宦官(かんがん)という去勢して皇帝の妃の世話をする奴隷の身分であり、皇帝に気に入られて財産を築いたものの、世間からは卑しまれています。

張飛、劉備、曹操

 

このように劉備と曹操は、対照的な存在であり星飛雄馬と花形満のようにライバルとしてお互いがお互いの存在により引き立ちメリハリがつくのです。

 

赤壁の戦いを斬る!赤壁の戦いの真実
赤壁の戦い

 

曹操悪役の理由2:史実での因縁

曹操と劉備

 

三国志演義において、宿命のライバルとして描かれる曹操と劉備ですが、実は、三国志演義のベースになった歴史書、正史三国志においても、非常に因縁深い関係です。

劉備と曹操

 

例えば劉備は徐州(じょしゅう)呂布(りょふ)に奪われた際に、曹操を頼ってその配下になっていた事がありますが、その後、曹操暗殺の計画に関与して、曹操の下から逃亡しています。西暦200年、曹操はライバルの袁紹(えんしょう)官渡(かんと)で激戦をしていますが、劉備は袁紹の客分として曹操軍を攻撃していました。

 

曹操から逃げ回る劉備

 

西暦208年、曹操が荊州(けいしゅう)を下すと、荊州で劉表(りゅうひょう)に世話になっていた劉備が曹操の大軍から逃げる羽目になっています。

 

魏曹操と魏軍と呉軍

 

その後劉備は、呉と同盟を組んで曹操に立ち向かい赤壁(せきへき)で勝利しています。このように劉備は、曹操の生涯に部分、部分で絶妙に関わっており、これが三国志演義で曹操の敵役が劉備になる決め手になりました。曹操と絡んでいる人物は、正史三国志でも大勢いますが、いずれも一時期のみであり、劉備のように全生涯に絡んでいる人物はいないのです。

 

曹操からすれば、「なんで貴様はワシの前になんども立ち塞がるんじゃ!」という事ですし、劉備から見れば、「知るか!お前が勝手に俺を追ってくるからだろ!」という関係に史実でもなっているのです。

 

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曹操悪役の理由3:圧倒的に強いから

赤鎧を身に着けた曹操

 

物語においては、ライバル同士の力量は最初大きな差がある方が盛り上がります。ライバルが登場する大体の漫画では、当初ライバルの実力が圧倒的であり、主人公は何度か敗れつつも、次第に潜在能力を引き出してライバルと対等になりついには圧倒します。

 

献帝を保護する曹操

 

三国志演義において曹操は中国14州のうちの9州を抑えた圧倒的な存在であり、しかも、後漢皇帝も保護して意のままに操っています。それに対し劉備は、関羽や張飛、趙雲のような優れた部下に恵まれつつも、赤壁の戦いで曹操を負かすまでは一州も領有できない弱小勢力です。

 

三国志の計略07 曹操

 

圧倒的に弱い劉備が天才軍師、諸葛孔明(しょかつこうめい)などを得て益州を手に入れ何とか魏に対抗できるようになるまでが、三国志演義の一番、面白い所なのです。曹操は圧倒的に強いので主人公劉備のライバルとして最適だったのです。

 

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曹操悪役の理由4:当時の価値観に喧嘩を売る

若い頃の曹操

 

曹操や劉備が生きていた時代は、儒教(じゅきょう)の全盛期でした。儒教の価値観を一口で言うのは難しいですが、ザックリ言うと

 

①親を大切にし、主君には忠誠を尽くす。

②才能よりも家柄や儒教の価値観が大事

③嘘をつかずに正直に生きよう

④社会の秩序を崩すのはバッド!

 

孔子と儒教

 

上記のような事が守られて当然と考えられ、特に①②④を破ると人間扱いされないほど激しく攻撃され非難されました。ところが曹操と言う人は、結局、息子の曹丕(そうひ)の時代に自分が仕えていた主君である漢王朝を滅ぼし、少年時代のエピソードには親や叔父を騙すものがあります。

 

さらに、曹操は能力主義を掲げ、例え罪人でも、一芸に秀でていて政治に役立てば関係なく使うと宣言したのです。

曹操を誹謗中傷する孔融

 

これらは、当時の儒教的価値観に喧嘩を売るモノであり当然、社会の反発を買いました。こうして曹操は儒教的知識人により、人間とも呼べない巨大な悪としてのレッテルが貼られていきます。中国の儒教的知識人の怨念が、何百年をかけて曹操を憎らしい悪役へと変化させていったわけです。

 

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